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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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最近だと
「斉藤さん」であったり
若いころ、「ビーマニ」やら開発をしていて
遊んでくれる、多くの人とのかかわり
ヒットを出すために、その時代背景を考えてみたり、
思想にはまりだす気持ち
何だろうって考えてみた。

小学校2年生の帰り道
広島原爆投下に対するイベントがあり
興味と驚きで参加した。
さらに、開催していた共産党が、
無思想な子供に、沢山署名を
取ったことで
近所の方とトラブルになった。

ボクは、
世の中に、
人を傷つけあう戦争があるということ、
原爆は一瞬にして、人の命を奪う
見ることができないぐらい、
無残な死に方をする
さらには、
共産主義や社会主義、民主主義といった
思想や政治があり、
こんな、考え方の一致不一致で
命をかけていたり、

日本人と同じような、
アジアの人なのに、
ハングルという言語で国が二つになった
朝鮮半島
当時は、光州事件などのデモが激して
テレビで連日ニュースになっていて
韓国など、知ることとなり
世界、なにやら、イロイロあるということを知った。

80年代ですから、図書館や本屋で
新聞を読んで、調べて、夢中になった。

小学生あたりから、外の世界に気がつき、
分からないことや、
不思議なことがたくさんで
自分が、存在することも
今という時間のとは何なのか。
宇宙には、星があるのか、
地球は宇宙のどの位置に存在するのか。
宇宙の先には何があるのか。

そのような不思議なことが沢山あるのに、
人々は、
なぜ分からないのに生きていけるのか。
学校の先生に質問をしたりした。

授業を止めてしまったり
友達には、避難されたり、
陰口で「自慢」(ボクのような気質の人は、言われるみたい)
とか
いじめを受けたりして、苦しかったけれども、

教授や中沢新一の対談を読み、
吉本隆明を読み、
なにか、分かったつもりになることで、
自分を解決していたと思う。
本当は、難しすぎて、何もわかっていなかったのに。

小学生で、思想や哲学に夢中になったわけは、
ちょうど日本の80年代、
知的なこと、学ぶことを消費するという、
ニーアカなんでしょうけれども、
音楽から、アート、文学まで
知的生活が広がっていた(と思う)
豊かになった、日本の新しい時代、

当時、
難解な物を理解しようとするそのことが
ゲバ棒をもっていた、
なんとなくクリスタル
団塊世代が社会参加した、日本だったのだと思う。
分かったような、分かろうとする思想を、
消費財にする風潮だったのかと。
まさに、ニーアカってわけだ。

雑誌宝島も、ビックリハウスも
サブカル雑誌がポストモダンの記事で

ボクも、
意味が理解できなくても、「構造と力」を持って
YMOや教授のマネというか、
ファッションとして、小学校に行っていた。

全く良く分からなくて、最近読み始めたけれども、
音を視る、時を聴く
音は耳から聞こえるけれども、
目の前の音とは何だろうか。
読んでいて眠くなったけれども、理解したふりをしていた。
サウンドストリートを聴いて、
洋楽をチェックして、JAPANやXTCとか
知るコトになる。

でも、働き始めて、当時は90年代で
気難しいことは、何もプラスにならないような、
知らないこと、分からない方が、楽で、
サンプリングして、引用するような
DJ文化で、
明瞭な既存の答えの引用が、人に説明しやすい。

ウンチクによって、ヒットが生み出せるのか。
だから、郊外の人々の生活を観察しよう
最近だとマイルドヤンキーなんて言われますが、
考えないで、現実に見えることを大事にしよう。
という、今のボク、があるけれども
青年期から影響受けた、
ホコリがかぶっている本。
引っ越しとともに、数十年ぶりに
読み始めた。

最近、このころの気持ちがあったこと
思い出した。
40歳になっても、
中二病というやつ。

些細なことで、よく話すのですが、
今でも考えることがあるけれども、
ご飯を食べる際に、
目の前にある、肉は、
牛や豚を殺して切り離した体の部位そのもので
肉汁はそのものの血や油であり、
生きているものであったこと。

動物の親と子供が引き離され
子を生んだ親がトサツ場で命を落とし
そして子供も、いずれ成育すれば、
機械的に出産して、再び、人間に殺されていく。
でも、思考や理性、自意識が動物になければ、
悲しいとか、痛いとか、残酷なのか
感じられるかはわからない。
ちょっとだけ、ボクは、拒食症になった。
もともと、
お弁当に擬人化した食べ物があると
残したぐらいだし、

マザー牧場で「羊のショウ」を見た後、
ジンギスカンで、マトンを食べることになり、
何も考えずに、おいしそうに食べる人々と、
先ほど、かわいいと思って楽しんだ子羊と
同種の羊を食することが
気分が悪く、人間の恐ろしさを感じた。

そういった、世の中とは、
良く分からないことだらけで
でも、多くの人は不思議だけれども
考えずに行動をしていて
そのことにボクは気になり、
自意識が芽生えたころに、
すでに息苦しかったのかもしれない。
ちゃんと今を考えてみようと。

だから、人間も
羊のような、同じような気もしていて、

多分、一貫して、ボクの会社の理念にもありますが、
「人はいつか死ぬものであり、死ぬために生きている。
けれども、死ぬことが目的ではなく、その過程をどのように生きるか。」
と考えている。

死に急いでいるのか?
といわれるぐらい、
最近、焦燥感が強いのですが、
沢山の喜びやアイデアでもっと成功をすることができるのか。
妙に最近考えている。

ボクは、40才で、今まで生きてきた40年をプラスすると、
80才であり、後半戦だと考えている。

だから、僕なりの豊かさや知的な生活を一番に考えていて、
さらに、売上も、年収も、目の前の現金も、
実現のための手段に過ぎなくて
本当の豊かさを考え続けている。

ヤンチャなこととして、
20代で、夢を見た最速のスポーツカーも、買ったし
美しいメルセデスが買えると思えば、最速で乗る。
なぜならば、「今でしょ」で、
それでもも、何かが達成したことではなくて、
手段にすぎない。

もう時間がない、あと20年と考えていて
今は、何もかもを精一杯、楽しみ、学び、詰め込み
結果的に、脳みそを満足させることで
頑張っている。

最近、
ミシェル・フーコーを勧められて
読んでいるのですが、
それは、80年代流行った
ポストモダンを思い出し、大人になったので
解釈が変わってきた。

市場経済や、効率性や無駄を排除し
経済成長した構造主義の
次の近代
80年代後半の日本のように、バブルと付加価値の構造としての
ポストモダンがわりと理解できて、
今考えてみれば、
「まったく意味がないけれども、何か面白い」
「意味がないからすばらしいのだ」

多数派が「たのきんトリオ」とか
戦隊系とか、
うまく迎合できないような、世界の中で
ボクは、知的ごっこをして、
ローリーアンダーソンとか、ナムジュンパイクを見ていた。
何か、自分が違うからこそ、多数派を斜めで見て
滑稽で、シュールに見る。
そういう自分というナルシズムで
確立していた気もしている。
モノではない、欲求を満たすことなのだと、、、

フーコの狂気の歴史で言うところの、
ボクらの作るソーシャルでの
魅力的な人々
何が普通で、普通じゃないのか。
普通じゃない物に対して魅力的だったり、
欲求が満足する。
自己実現だったりする。

そんなことを悶々と考えている。

いつものごとく、悶々と吐き出してみた!

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