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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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沖縄にまたきていまして、Facebookをやめてみた。
(関連はないけど)

大江健三郎の小説のような、
糸井重里さんの”おいしい生活”のようでもあるのだけれども、
じっくりと、いつも”当たり前に考える”
様々な思考を整理する際に、感じるストレスから
今の時代のテーマは、
「静かな生活」
じゃないかとうかんだ。

双方向の情報が多くて、常に情報がプッシュで送られてきて
人々は本当にモノゴトに集中しているのか。
あるいは、様々な情報に対して並列処理をしているけれども
プログラムで言うならば、while()なのか、
if ~thenで様々なタスクが終わらずにいて、抜け出せていない。
メインタスクに影響を与ええていないのか。
って悶々と思った。

情報が多くて、即時性であり
瞬発力も高い
けれども、人々に、
無意識に整理する能力を求め
より、衝動的に伝えたり
面白いし、知的好奇心がくすぐられる。
一方
ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」香山リカ
なるほど、読んでみて、面白いけれども、

実は、ボクは別の視点であることに気が付いた。
滑稽であったり不思議なことを考えてみた。

情報の混線というのでしょうか。
ボクは精神的に多動性なのだと思うので、
よくわかる。

例えば、渋谷駅のスクランブル交差点があって
地獄極まりないのが、
2~3個の巨大モニターというかサイネージから、
サウンドも同時にいくつか出ています。
映像は見なければよいけれども、
音は車のノイズ、沢山の話し声、そして爆音の
新譜紹介、コマーシャル。二つの音楽が同時に再生されている。
音に対する意識が低いなとイライラしまして
とても苦痛な街です。街の景観もひどいけれども
音のサウンドスケイプも最悪。
見えるものを大事にするけれども、お金をかけるけれども、
見えないものこそ美しくて、静かにしてほしいものだと。
カクテルパーティ効果以前の問題。
でも、その動画広告やら作品が、
ついつい入ってきてしまって、
そのクリエイターが知人だとすると、
嫌でも、「いいね」ってしてしまう、のでしょう。

Facebookも、
知人のどかな家庭や日記とか
楽しみに見ていたのだけれども、
わりとどうでもよい情報が多くて
フォローを解除、ウォールを静かにしつつ、
様々なシェアや上げられる情報と、その人について分析をしてみて、
結果、辞めることにした。
例えば、
「議員が泣いた」、とか、
「新宿駅で自殺未遂」とか
あまり、関係ないし、ボクは深く考える必要もない。
答えは見えていて、後者の場合
イデオロギーに傾倒することで、その組織によって
自己の存在を確立できてきた人であり
故に命もかけられる。
なぜならば、思想そのものが本人だから。
自爆テロは、最高のACなのだ。
わかっていることを、考えなくてもよいし、
関心があまりにも、ネガティブな情報に
偏っていたりすると、こちらも鬱憤がたまる。

多くの人が市民会議に参加し
高次で素晴らしいということは
表層的の”美しさ”に過ぎなくて、

これでは、中長期的な視点を持って
きちんと、学術的に積み上げてきた
専門家が、ボクらみたいな、目先のことしか見えない人に
いわれるのも、やりにくい時代だと考える。
ワイドショウ的に、場当たり的な情報に鼓動される
大衆と、結果消費社会をけん引する企業がバックになるならば
もし、世の中に完全に正しい真理があるとするならば
勧善懲悪な、監視・管理社会が出来上がるのではと。

ボク自身で言えば、
多角的にレーダーを持つというのは、
思考の深さが浅くなるので、
ネガティブで悲観的な情報を、シャットアウトしたい。

PULL型で自分が必要とする情報、
スマートニュースやグノシーでいいかなと思う。
学校の授業中でも、業務時間中でも
多くの人は、クソ上司や、僕みたいなクソ社長という
現実で入ってくる社会の情報と
Facebookのウォールは並列処理できているのだろう。

笑ったらシェアとか、面白いけれども、
平日は、あまり脳の処理に時間を使いたくないし。
面倒なので、週末や休暇中だけ書き込みするようになった。
もちろん、業務時間中にダラダラ書くのも
相当集中していないのだとも思ったけれども。

自己中なので、
ボクが興味関心のある分野以外は、
面倒で、議論もしたくない。
とある、学術的な分野について、公開範囲を自分の周りで発言したところ
内容について、知らない専門家から突っ込みが入って
なるほどと思う一方、
専門家というか、ボクはその当事者なのだけれども
全ての発言に対して
リテラシーの精度を求めるのであれば、言論統制に過ぎない
と考えている。
居酒屋の会話に入り込んできた酔っ払いという感じ。
あるいは、酔っ払いの会話が、朝まで生テレビになっていたともいえる。

同じように、
オリンピックの金メダリストでも、ミュージシャンでも
その人の考え、自由な発言は
尊重すべきで、異なったとしても、
間違っていたとしても、流せばよいのだけれども、
排他主義というのか、その正論、イチゼロの思考こそ、
この方のボクへの距離感の意識の欠如など鑑みて、
何か病的なことも、察して、軽く流した。

さらに、
「生きることに注力できるのかな」と、反省もしてみた。
 情報を整理する能力が問われる、とされる時代
ワイドショウのような、多種にわたる分野、
様々な情報に対して
受け入れるコスト
市民会議や「いいね」にかけるコスト
論じるコスト
そして、常に情報を出し続けるコストってどうなのかって疑問に思う。
無駄なのか、役に立つのか計量化できないのか?

もし、多くの人が
良い(豊かな)生活をしたい、仕事に生かしたい
とする結論を求めるのであれば、
結論や目的に向かうための理論が必要だ。

そこで、飛躍するけれども
ボクが行き着いたのは、文系だし
理解するのに苦労、いまでも頭が痛いのですが、
「パターン認識」の領域で
みにくいアヒルの子の定理
次元の呪い
がわかりやすく、必死に学んでいる。

結果、雑に短絡してみると
沢山の情報、データベースを持っていても、
アクセスするための
答えのアルゴリズムを持っていないと、そもそも
最適解は出せない。
(短絡しすぎだろう、、、、)

そこで、情報を制限することにした。
ボクのために。
面白いことに、
根拠はないけれども、たくさんのことに気づいてきた。
生活の中で、入力された無駄な情報を減らす。
そうすると、余ったタスクでいろいろ考えられる。
いくつかピックアップすると

「吃音」
幼少期から青年期まで続いた「吃音」の原因。
「落ち着いて」「考えてから発言しなさい」
と昔は指導された。
後者は浅くて、
落ち着かないからこそ、
発言の際に、たくさんの情報が同時に入ってくる。
そして、その情報の処理が並列で動いていて
自分が話す際には、すでに先のことに興味があったり、思考していて
話すときには、数秒、過去のことになっているのでは?
よって、過去にさかのぼる作業をする。
吃音じゃない人は、思考と発言がシンクロしているのでは。
という、ボクなりの仮説だ。
自分の意識を外側(体の外)に持っていくことで軽減できる。
発言したり、書き込んだり、意思を伝える際には、
思考は先に進んでいる。
処理を遅くするのか、そういう自分を意識することで
じっくり、ゆっくりになる。

「集中する環境」
リノベーションを行ったばかりの
何もない、ボクの家のリビングで、ボーっとしてみた。
家具も、スマホも何もない。
そして、直線で見えるものも比較的シンプル。
先の渋谷じゃないですけれども、入ってくる情報過多
でおこる思考を抑える。
周囲が、何もない、無に近いということは、
頭の思考が、邪魔されず、研ぎ澄まされる。
これまで、たくさんのパターンが交錯していたわけで、
ボクは、この情報から何を選ぶのか、
何を排除するのか。
この選択そのものを必死に考えれば、
意思や決定項は、過去に考えていた思考であり
そのものを思考する必要はないのだ。
よって、数少ない情報や事象に対して、深く考える
環境セッティングこそ重要で、
部屋や環境をシンプルにすることだと。
矛盾するのは、ボクは片づけられないのだけれども。

「音楽」
多くの人は音楽を一つとして意識をするのだと思うのだけれども、
ボクは、音楽が複数の要素にあると考えていて
さらに、専門的な学習をあまりしていないので、
理論よりも、どちらかというと、サウンドの空間の方が意識が強い。
音色や周波数、空間内の配置とか。
よって、一般的なポップスのように、
メロディに抑揚があって、それが入ってくる情報のほとんどを占める場合、
そのメロディから
歌手のパーソナリティや、歌詞やトーンや癖から察する
情景に邪魔をされて
音の空間が弱くなってしまう。
そうすると、頭にあった、3次元的な空間が
言語的で、メロディが強く支配してしまう。
このことから、ボクは、メロディがあまり好きでなかったり、
感情や抑揚のあるサウンドが嫌いで、
ポップスがかけなくて、メジャーになれなかったのだ。(これは、言い訳)
バックグランドに流れる音楽によって、
同時に動いている、ボクの思考を整理するためにも
静かで、空間を感じて、ボクが中心になるような
サウンドが好きなのだと。
グレングールドに夢中で、彼は、スタジオ録音にこだわった。
ピアノ曲というよりも、僕にとっては
ピアノと、歯ぎしりや鼻歌は、サウンドスケイプなのだ。

悶々とまとめてみたけれども、
ネットだけではなくて、生活空間をよりシンプルにするために
情報を制限をしたり、
人に合わなかったりするなど、
自分の時間、自分の環境を整備することにより、
自分自身が考え抜いた思考が
深くなり、余計なノイズが減る。

特に、ボクは情報の出し入れがうまくいっていなくて、
ここ数日は、多弁と寡黙を繰り返して、コンフリクトしている。

そこで、こんな生活を継続することは、なかなか難しいのだろうけれども
じっくり、ゆっくり
「静かな生活」をすることは、その環境をそろえるのは、
自分が生きるためにも
無秩序なエントロピーを最小化できるのだと。

インドに行きそうな気配だ。

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