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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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沖縄にまたきていまして、Facebookをやめてみた。
(関連はないけど)

大江健三郎の小説のような、
糸井重里さんの”おいしい生活”のようでもあるのだけれども、
じっくりと、いつも”当たり前に考える”
様々な思考を整理する際に、感じるストレスから
今の時代のテーマは、
「静かな生活」
じゃないかとうかんだ。

双方向の情報が多くて、常に情報がプッシュで送られてきて
人々は本当にモノゴトに集中しているのか。
あるいは、様々な情報に対して並列処理をしているけれども
プログラムで言うならば、while()なのか、
if ~thenで様々なタスクが終わらずにいて、抜け出せていない。
メインタスクに影響を与ええていないのか。
って悶々と思った。

情報が多くて、即時性であり
瞬発力も高い
けれども、人々に、
無意識に整理する能力を求め
より、衝動的に伝えたり
面白いし、知的好奇心がくすぐられる。
一方
ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」香山リカ
なるほど、読んでみて、面白いけれども、

実は、ボクは別の視点であることに気が付いた。
滑稽であったり不思議なことを考えてみた。

情報の混線というのでしょうか。
ボクは精神的に多動性なのだと思うので、
よくわかる。

例えば、渋谷駅のスクランブル交差点があって
地獄極まりないのが、
2~3個の巨大モニターというかサイネージから、
サウンドも同時にいくつか出ています。
映像は見なければよいけれども、
音は車のノイズ、沢山の話し声、そして爆音の
新譜紹介、コマーシャル。二つの音楽が同時に再生されている。
音に対する意識が低いなとイライラしまして
とても苦痛な街です。街の景観もひどいけれども
音のサウンドスケイプも最悪。
見えるものを大事にするけれども、お金をかけるけれども、
見えないものこそ美しくて、静かにしてほしいものだと。
カクテルパーティ効果以前の問題。
でも、その動画広告やら作品が、
ついつい入ってきてしまって、
そのクリエイターが知人だとすると、
嫌でも、「いいね」ってしてしまう、のでしょう。

Facebookも、
知人のどかな家庭や日記とか
楽しみに見ていたのだけれども、
わりとどうでもよい情報が多くて
フォローを解除、ウォールを静かにしつつ、
様々なシェアや上げられる情報と、その人について分析をしてみて、
結果、辞めることにした。
例えば、
「議員が泣いた」、とか、
「新宿駅で自殺未遂」とか
あまり、関係ないし、ボクは深く考える必要もない。
答えは見えていて、後者の場合
イデオロギーに傾倒することで、その組織によって
自己の存在を確立できてきた人であり
故に命もかけられる。
なぜならば、思想そのものが本人だから。
自爆テロは、最高のACなのだ。
わかっていることを、考えなくてもよいし、
関心があまりにも、ネガティブな情報に
偏っていたりすると、こちらも鬱憤がたまる。

多くの人が市民会議に参加し
高次で素晴らしいということは
表層的の”美しさ”に過ぎなくて、

これでは、中長期的な視点を持って
きちんと、学術的に積み上げてきた
専門家が、ボクらみたいな、目先のことしか見えない人に
いわれるのも、やりにくい時代だと考える。
ワイドショウ的に、場当たり的な情報に鼓動される
大衆と、結果消費社会をけん引する企業がバックになるならば
もし、世の中に完全に正しい真理があるとするならば
勧善懲悪な、監視・管理社会が出来上がるのではと。

ボク自身で言えば、
多角的にレーダーを持つというのは、
思考の深さが浅くなるので、
ネガティブで悲観的な情報を、シャットアウトしたい。

PULL型で自分が必要とする情報、
スマートニュースやグノシーでいいかなと思う。
学校の授業中でも、業務時間中でも
多くの人は、クソ上司や、僕みたいなクソ社長という
現実で入ってくる社会の情報と
Facebookのウォールは並列処理できているのだろう。

笑ったらシェアとか、面白いけれども、
平日は、あまり脳の処理に時間を使いたくないし。
面倒なので、週末や休暇中だけ書き込みするようになった。
もちろん、業務時間中にダラダラ書くのも
相当集中していないのだとも思ったけれども。

自己中なので、
ボクが興味関心のある分野以外は、
面倒で、議論もしたくない。
とある、学術的な分野について、公開範囲を自分の周りで発言したところ
内容について、知らない専門家から突っ込みが入って
なるほどと思う一方、
専門家というか、ボクはその当事者なのだけれども
全ての発言に対して
リテラシーの精度を求めるのであれば、言論統制に過ぎない
と考えている。
居酒屋の会話に入り込んできた酔っ払いという感じ。
あるいは、酔っ払いの会話が、朝まで生テレビになっていたともいえる。

同じように、
オリンピックの金メダリストでも、ミュージシャンでも
その人の考え、自由な発言は
尊重すべきで、異なったとしても、
間違っていたとしても、流せばよいのだけれども、
排他主義というのか、その正論、イチゼロの思考こそ、
この方のボクへの距離感の意識の欠如など鑑みて、
何か病的なことも、察して、軽く流した。

さらに、
「生きることに注力できるのかな」と、反省もしてみた。
 情報を整理する能力が問われる、とされる時代
ワイドショウのような、多種にわたる分野、
様々な情報に対して
受け入れるコスト
市民会議や「いいね」にかけるコスト
論じるコスト
そして、常に情報を出し続けるコストってどうなのかって疑問に思う。
無駄なのか、役に立つのか計量化できないのか?

もし、多くの人が
良い(豊かな)生活をしたい、仕事に生かしたい
とする結論を求めるのであれば、
結論や目的に向かうための理論が必要だ。

そこで、飛躍するけれども
ボクが行き着いたのは、文系だし
理解するのに苦労、いまでも頭が痛いのですが、
「パターン認識」の領域で
みにくいアヒルの子の定理
次元の呪い
がわかりやすく、必死に学んでいる。

結果、雑に短絡してみると
沢山の情報、データベースを持っていても、
アクセスするための
答えのアルゴリズムを持っていないと、そもそも
最適解は出せない。
(短絡しすぎだろう、、、、)

そこで、情報を制限することにした。
ボクのために。
面白いことに、
根拠はないけれども、たくさんのことに気づいてきた。
生活の中で、入力された無駄な情報を減らす。
そうすると、余ったタスクでいろいろ考えられる。
いくつかピックアップすると

「吃音」
幼少期から青年期まで続いた「吃音」の原因。
「落ち着いて」「考えてから発言しなさい」
と昔は指導された。
後者は浅くて、
落ち着かないからこそ、
発言の際に、たくさんの情報が同時に入ってくる。
そして、その情報の処理が並列で動いていて
自分が話す際には、すでに先のことに興味があったり、思考していて
話すときには、数秒、過去のことになっているのでは?
よって、過去にさかのぼる作業をする。
吃音じゃない人は、思考と発言がシンクロしているのでは。
という、ボクなりの仮説だ。
自分の意識を外側(体の外)に持っていくことで軽減できる。
発言したり、書き込んだり、意思を伝える際には、
思考は先に進んでいる。
処理を遅くするのか、そういう自分を意識することで
じっくり、ゆっくりになる。

「集中する環境」
リノベーションを行ったばかりの
何もない、ボクの家のリビングで、ボーっとしてみた。
家具も、スマホも何もない。
そして、直線で見えるものも比較的シンプル。
先の渋谷じゃないですけれども、入ってくる情報過多
でおこる思考を抑える。
周囲が、何もない、無に近いということは、
頭の思考が、邪魔されず、研ぎ澄まされる。
これまで、たくさんのパターンが交錯していたわけで、
ボクは、この情報から何を選ぶのか、
何を排除するのか。
この選択そのものを必死に考えれば、
意思や決定項は、過去に考えていた思考であり
そのものを思考する必要はないのだ。
よって、数少ない情報や事象に対して、深く考える
環境セッティングこそ重要で、
部屋や環境をシンプルにすることだと。
矛盾するのは、ボクは片づけられないのだけれども。

「音楽」
多くの人は音楽を一つとして意識をするのだと思うのだけれども、
ボクは、音楽が複数の要素にあると考えていて
さらに、専門的な学習をあまりしていないので、
理論よりも、どちらかというと、サウンドの空間の方が意識が強い。
音色や周波数、空間内の配置とか。
よって、一般的なポップスのように、
メロディに抑揚があって、それが入ってくる情報のほとんどを占める場合、
そのメロディから
歌手のパーソナリティや、歌詞やトーンや癖から察する
情景に邪魔をされて
音の空間が弱くなってしまう。
そうすると、頭にあった、3次元的な空間が
言語的で、メロディが強く支配してしまう。
このことから、ボクは、メロディがあまり好きでなかったり、
感情や抑揚のあるサウンドが嫌いで、
ポップスがかけなくて、メジャーになれなかったのだ。(これは、言い訳)
バックグランドに流れる音楽によって、
同時に動いている、ボクの思考を整理するためにも
静かで、空間を感じて、ボクが中心になるような
サウンドが好きなのだと。
グレングールドに夢中で、彼は、スタジオ録音にこだわった。
ピアノ曲というよりも、僕にとっては
ピアノと、歯ぎしりや鼻歌は、サウンドスケイプなのだ。

悶々とまとめてみたけれども、
ネットだけではなくて、生活空間をよりシンプルにするために
情報を制限をしたり、
人に合わなかったりするなど、
自分の時間、自分の環境を整備することにより、
自分自身が考え抜いた思考が
深くなり、余計なノイズが減る。

特に、ボクは情報の出し入れがうまくいっていなくて、
ここ数日は、多弁と寡黙を繰り返して、コンフリクトしている。

そこで、こんな生活を継続することは、なかなか難しいのだろうけれども
じっくり、ゆっくり
「静かな生活」をすることは、その環境をそろえるのは、
自分が生きるためにも
無秩序なエントロピーを最小化できるのだと。

インドに行きそうな気配だ。

拍手[4回]

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ここ最近、体調を崩していまして

朝は快調。ところが毎日午後14:00~1時間ぐらい、
プツッと、頭が回らなくなりまして
ちょうど、テレビの密着取材もありまして
カメラでも撮影していて、急変がわかったそうです、、、
そこで、病院で検査しつつ、休養を取っている状況です。

もともと、幼少期からの集中しすぎる、
過集中じゃないかなって思います。
夢中になると、数日~数週間没頭できるのですね。
知能検査を何度かしていて、たぶん、子供のころもやっていて
結果としては、そこそこ高いわけですが、
どうも、パフォーマンスに片寄りがあって、
アンバランスなわけです。
発動条件は自分でも何なのかわかりませんが、
それが、勉強に関連することや、
テストだったりすると、ものすごく効率が良い。
でも、そのあとに、虚脱感がどっと来るので、
脳が疲れる感じにはなる。

特に、最近では、mentaをやったりして、
心理学やら面白くて学ぶ一方で
面倒なこととして、
他者とのコミュニケーション
常に、間違いのないように、録音して、仕事が終わっても
自分の発言、相手の発言を解析して、
過集中になるあまりに、そこに全力で集中して、
先読みをするために、シミュレーションやら、相手を鑑みたり
将棋のように、いろいろ何手先まで予測する。
どう返答しても、答えられるように、
データを事前にためておく。
そうすると、事前にいろいろ察したり、わかってしまう。
そこが、面白くもあり、また面倒でもありまして
24時間スマートフォンで、会話をGPSや写真にひもづけて
録音している仕組みを作ってみた。
言い換えれば、録音を停止することができない
ボイスレコーダーなのですが。
これによって、いつでも、過去に振り返れるようになって
いろいろ、考察、学ぶことができる。

その気づきや発見によって、今まで経験をした過去の自分と整合性を取るために、
気が付かないふりをしている自分もあり、
また、過去に起きたいろいろなイベントが、想起されて、
理解ができて、生まれ変わったような感じと、嫌な感じにもなる。
過去のデータベースへの解釈が、違う観点で変わっていく。

そのようなわけで、どんどん気難しかったり、
かなり迷惑もかける気がして
もともと、子供のころから一人で籠る性格なので、
ゆっくり休んでいます。

でも、
休んでいても、近所の人と話した時に、
「富士山がこの場所から見えるんですよ、、犬の散歩をしながら見せているんです。」
ってことに対して、
「犬は、富士山を認知できるのでしょうか?」
思わず、ポロリしちゃったわけです。なんで無意味なことをするんだろうって。
満足しているのは、飼い主の内面の充足感であり、自己中心的な思考でもあり、
ペットにとっては、わからないと思うのです。
だから、なぜ、意味のないことをするのだろうと。
今でも、その通りだと思うんだけれども。。
そうじゃない、ペットへの感情というものも強いってことでもある。

というわけで、
何も考えない、自分が楽な状況でいると、
周りにいる人が嫌な思いをして、また、子供のころのように、
喧嘩やトラブルが多発し、
逆に、常に、先の予測をしつつ、ボロを見せずに自分を抑えていると
お酒飲んでいても
酔っ払えないぐらい、周りに合わせる、疲れる。

たぶん、この矛盾は解決できないのであろう。
脳のタスクマネージャーは、常に80%回していないとだめなんだと。

というわけで、会社のみんなの協力もあり、
ゆっくり、じっくり、しながら
余計なことを考えないように、
新しいことに夢中になって、研究しています。
今月、新しいアプリが出るでしょう。。。

会社は、創業から12年たちましたが、
とても安定していて、心配がないぐらいなのに、
なにか、焦燥感があるのは、なぜなのだろうか。
逆に、危機意識が減ることで、歌集中が発動しないからなのか。

でも、昔から、安定すると、駄目なんだよね、なんて知人に指摘されましたが
会社は、みんなに任せられるのだ。

ボクは、細かいことは言わずに、モノづくり、クリエイターの理念だけは
しっかり伝えられる。

今まで、自分が中心だった体制から、
パラレル型の組織。
そうなってきている気もします。

うまく、自分と付き合うということですね。

拍手[2回]

お正月休みは、『斉藤さん』を気にしながら、
いろいろ準備やら好きなことをやっていました。
にしても、すごいなぁーー。斉藤さん。。。
毎日数1,000人の方が参加して。
僕らは、何にもしていないのに、盛り上がる。

がんばろう!

というわけで、今年の準備ということで。。。

<サウンド>
まず、サウンド制作環境なのですが、
BGMや効果音など制作をする場合、
もちろん、現役ですので、最速で頭のイメージを作るようにしています。
そのために、すぐにPCを起動して、すぐに作曲!

その時なのですが、、、
Keystation Mini 32という、
200とか300gで、2オクターブ以上の弾ける鍵盤があります。


とても軽いので、出張とか持っていけるし、
ちょっと、制作って際に、USBに差し込んでストレスなく作れるように、しています。

演奏するには、鍵盤が小さくて大変ですけれども
頭の中の曲を、ざざって入力して、シーケンスソフトで制作するにはとても便利。

最近、ハードディスクからSSDになったので、
曲がひらめいたら、PCを開いて、ソフトを立ち上げるのに、10秒かからない。
僕は、ソフトを立ち上げる前に、曲が完成しているので
いかに早いことが重要なのか、

でも、最近、パソコンを、
VAIO Zから、さらに軽いVAIO PROに乗り換えたので、一苦労。
いつも、すぐに使うための準備というか、セットアップ、
とても大変で
Abletonというお気に入りのアプリ
MIDIアプリが、このUSB接続のKeystationを認識しない。
過集中で、原因がわかり、納得いくまで、
2日かかりました。

-Keystation Mini 32のUSB3.0問題
このキーボードはUSB2.0規格で、さらに専用ドライバがいらない。
WINDOWSの標準Plug-in対応というのが、問題でした。
USB3.0のドライバが、このキーボードをUSB2.0の下位互換を認識できないのでした。
結局VAIO PRO側がUSB3.0まで対応できるのに、
あえて、USBを標準のドライバUSB2.0で止めておくことで、無問題になりました。

たぶん、旧種のMIDI系機器も同じ問題があると思います。
Windows8や7といったOSの問題よりも、新しいチップセットのUSB互換に関する問題なのですよ。

次に、新年は、
アマチュア無線もやってます。(JK1HSTっていうコールサイン)
144MhzFMという、チャンネル(テレビのように、共通の番号)での
交信をしました。
いまは、携帯電話がありますが、一昔前は、
話をするのに、無線だったわけです。しかも、ライセンス必須。


車に搭載していまして、話せるようになっています。

145Mhzというのは、メインチャンネル(呼び出しチャンネル)
でして、この周波数で、CQ(知らない人と話しませんか?)や
友人を呼び出しをして、出会ったら、ほかのチャンネルに移行するのです。
よく、「CQ CQ CQ 入館の曲ございましたら、145.24へQSY」
といいますけれども、
みんなの聞いている、145.00というメインチャンネルを中心にみんながいる。
そして、お気に入りの人(無線局)、話したい人の場合、
指定する周波数へ移動する
という方法。
ですので、145~146Mhzをサーチすると、いろいろな人が話しています。
逆に、145.00で長話をしてはいけないのです。みんなが聞いているから。
長話をしたければ、ほかの周波数へ移動してねと。
これ、斉藤さんやらに応用できると思いませんか。
まさに、ルーツなのです。


次に、憧れだった、短波ラジオを入手しました。
ICF-SW1という、80年代の名機をオークションで買いました。
スパイセットのように、
AL-101というアンテナやら、受信ブースターも
世界で使えるアダプターまでセットになっています。



80年代のデザイン。再評価されるべきですよね。
かっこいい!!

そして、810Khzの極東放送など聞いています。
周波数って不思議!

そして、自分のコントロールということで、

僕は、運動音痴ですから、スポーツなんて!
と思っていたのですが、
どうも、生き方の”センス”というのか、
40歳になって、メタボっぽくなったというか、
やはり、これも”センス”というか
センスが違うのはいいとして、
センスがわからないおっさんは嫌だな
なんて思います。

”ある程度”、おっさんになって、
”ある程度”、世の中がわかるようになって、
なんか、それでいいんだよね。
とか、わからないねぇ。
なんて、落ち着いたけれども、あきらめちゃっているの
カッコ悪いなと。

また、スタイルっていうのも、なるほどと思いまして。
もともと、「洋服は着れればよい」
と思っていて、貧乏でも裕福な時でも
昔から、安い、経済性だけだったわけですが、
世の中には、当然アパレルという市場があり、
そして、着る、魅せる、だとか、コーディネートやら
色やら、ブランドというのもあり、
まったく興味がなかったわけですが、ちゃんとわかろうと思いまして
昨年から、いろいろ考えているわけですが、
その前に、

よい服も、ブランドも、着る人のおなかが出ていたら、意味ないな
って思ったわけです。
よいアプリも、ゲームも、サービスも、事業も。。。
ダサいおっさんからは生まれないよ。
ってことと、
見た目じゃないよ、中身だよ。
っていう相反することを、クリアするために、まずはやってみうようっと。

とても抽象的ですが、そんなわけで、
6か月前からトレーニングをして、
最初は1日10キロ歩く。
から始まって、
体重74キロを70キロに。

目標を設定して、1キロずつ減らしていき、
昨年の秋に60キロ前半にしまして

さらに、ジムで走って、目標500mを走る!
から
1kmに。
さらに、2km。
と設定して、今では4キロぐらい連続して走れるようになりました。

腕立て伏せも、10回から、15回、そして30回とか。

今では、体重も、58キログラムぐらいになりました。

よく食べて、よく運動をする。
というわけで、

体と頭が軽くなった気がしています。
身軽ってわけですが、フットワークが軽いのは、とてもよいなと。
朝も目覚めが良いし。

今は、10キロ走ることを目標にしております。
ホノルルマラソンにでも出ようかと。

なんだか、数字な年だ。

拍手[0回]

あと6日で40歳になるわけです。

子供時代の記憶。小学校の先生よりも歳上。
太宰治よりも歳上。
寺山修司の年齢にも近づいてきた。

幸い、髪の毛もあるからよかったかな。

会社を10年やってきて、大変な時もあり、
ここ数年のように、まあまあな時もありまして、
最近他の人を見ていると、
ボクは、おそらく大胆で、図太くて、繊細でもなく、
あまり人の目を気にしたりしないでやってきたと思うのです。

単月黒字を数十ヶ月継続してきた
一方で、ユードー規模の会社が
単月で黒を達成しつづけているということは、
本当にもの凄い現金ストックが無い限り、
悪く見れば、堅調で次の時代へ向けた、
大きなチャレンジをしていないことにもなる。

近視的に見てしまうと、利害関係者
対外面など、気にすればするほど、
右肩上がりを目指して、多くの企業は
5年後10年後を見えずに、1年決算のみのゴールで進みがちだと
考えています。
そして、袋小路に入り込んでしまう。
量的拡大に。

今のこの業界、
現状維持こそ衰退なのに、今ある成功モデルにしがみつき
市場がレッドオーシャンで、もの凄いパワーが必要な中で
淘汰されちゃう。
これは、半期の成績を気にする子供というか、
何か嫌だなと思って、不良心に火がついた。

ということで、限定的な単月赤字として2つの挑戦。
1)人を育てる。
2)mentaや、SPOTMUSICなど、CtoPro や O2O

1)は、ネット社会で育った人たちの共通した欠点。
絶対的な正解を導けたら誰も困らないのに、多くの人が始める前に悩んで止まる。
そして、ボクら世代の社長や管理職は、口を揃えて実行力が無いと嘆く問題。

経験が少ないことではなくて、90年代以降
沢山の情報が短期間で取得出来てしまうこともあり、
・情報を持ちすぎているけれども、処理が追いつかずに判断出来ないことと、
それなのに、
・本当は自己愛が強いあまりに、正しい(真理)を求めようと、
情報が沢山あれば、
良い答えを導くことができる、という自信を持ち過ぎだと考える。

本当は、判断したり考える情報が少ないことよりも、
サバイバルをしていなくて、考えるという力が未熟なのだ。

考える力を育てたりするには、
自分を賢いと思わずに、とにかくやって失敗すること。
一度、自分は馬鹿だから、
間違えてからじゃないと分からないと考えるべき。

ボクは、幼稚園の頃、
感電するのに、コンセントの両端に針金を突っ込んだ。
わかったのは、感電してやけどをすることだけじゃなくて
感電すると、指が離れなくて、
さらに、ブレーカーが飛ぶまで、離れにくくて
意識が薄れて、数秒が数分の感覚となった。

パチンコ玉があったので、
片方の鼻に入れてみた。
取れなくなったので、なぜかもう一個を、
もう片方の穴に入れてみた。
両方取れない。
ふんって言っても取れない。
口でしか呼吸が出来ないコトを知った。
人間の穴は、モノを入れるためではないのだ。

トラウマで、今でも覚えていることだ。

ですので、沢山痛みを回避せずに、知ることで
失敗をすることで、判断力、思考力の材料になる。

暫定的に、自信が無い時は、
「間違えても怒らないカード」を南雲に提出しては、と提案してみた。
みんな間違えるのが怖いのだ。
30年前、100年前、300年前と比べれば、
生きている間にインプットする情報は、数倍、数百倍・・・数えられない。
情報過多を整理出来ないことが、迷うきっかけなわけです。

そして、若いのに、失敗を恐れて堅調な人生を目指す人や、
大きくチャレンジしようとしない人には、
本当は、未熟でまだ何にも活躍出来ないからこそ、
将来の成長を期待して育てるのに
最初から伸び代を放棄する人は、期待が出来ないので、
とても残念な結果だなと考えています。

文明なんて、つい数百年でいろいろなことが分かってきて
そもそも、今という時間も、目に見える物質も、
私が存在することも
今、自分が自分であること、今いるということ自体も実証出来ないのに。
世の中は、不確実で、不確実性の中で生き抜いていくのに
正解なんて、誰だって分からない。

ですので、ボクは、
誰よりも勝ち抜き、自己主張して一歩前に出ることと
ウソでも良いので、ボクを騙すことを教えなくては
と考えている。

2)については、
ボクらは、面白いこと以外は仕事したくないし、
自分たちの名前がでないことはやりたくない。
良い、美しいと思うことを
自分たちの力で、そして応援してくれる人と死ぬ気で頑張る
と考えています。
そうでなければ、会社員で良いわけだし
リスクを取って社長をやっているわけではない。

子供の頃から
嫌だなと思う、親父やおっさんって言うのがあって、
・メタボ
・千鳥足の酔っぱらい。
お酒に酔ってるのが、子供の頃から大嫌いで。
フラフラしてると、ぶん殴りたくなったり、
なんか、接待をして、腹の探り合いをして、
調子良いこと言って仕事を貰うみたいな、
大人数で会議に参加して、横目で他人を見ながら、リスクを取らずに
何も言えないおっさんとか。
そういう、ヘタレでダメダメな大人に嫌悪感があり、
今でも同じなので、不良というか、ロックというか。

調和だとか、そういう農耕民族的なのがきらいで、
最近、根性でダイエットしたり、
お酒を控えてあまり飲まなくしたり、まあ良かったと思います。

よく、小学校の頃発言したり、意思を主張していじめられたので、
いまだに、大衆に迎合するのが嫌で、
強くありたいなと。

新しい事業、誰もやっていないということは大変です。
リスクを取った生き方をしていない人は、
なんとでも言えるかもしれない。
けれども、それに立ち向かっていくのが
おっさんだと考えます。

そのように、じっくり考えると、
攻める時期だな、なんて思いました。
人生一回。

拍手[15回]

毎日、毎日、会社から家まで10キロ歩いて帰りまして。

横浜駅西口から、桜木町や伊勢佐木町を通ります。

ボクは、ハマると、ずっとハマる性格でして
5ヶ月やっていたら500キロ歩きました。

足はそこそこ細くなり、太ももは引き締まり、お腹は割れ出し、
少々撫な肩も、角張りまして、身長173cm体重58キロまで落ちました。

体重計に乗るとクセになるので、一ヶ月に一回乗る。

計ったら、ちょっと落ちすぎて、顔がこけてきましたので、沢山食べることにもしています。


なぜ、こんなに継続したかというと、沢山理由はあるのですが、

結局、お金さえあれば、何でもご飯が食べられて、不自由が出来ない。

TV-CMで、数分ごとにアルコールのCMが流れる。

お菓子も、なんでも、安い。

牛丼も安い。マクドナルドも安い。

だから、欲望のままに食べちゃう。

健康と言うことも大事ですが、何か、自分の目先の欲求を満たさず、

キチンと体にインプットするものを考えようとか、

あと、お金もためようとか。

毎日、車代やら、電車代がたまります。
それで、好きなものを買うとか、目標を立てたりしている。

最近は、週末とかお酒を飲むとおいしい。

何故ならば、いつも飲まないから。

分かりやすい。



また、歩くたびにフラッシュバックするのが、

横浜駅西口から、桜木町。

今月で40歳ですから、37年前。平沼商店街で育ったらしいのですが、

平沼の大踏切は、相鉄やJRがひっきりなしに
開かないのを楽しんでいたのを、不思議と思い出すのです。
でも、当時のボクの身長だと、
車両の台車しか見えなくて、
後に、165系の台車はDT32とか覚えちゃうのでした。

映画ですと、Always三丁目の夕日の10年後。

今考えてみれば、第二次世界大戦から30年しか経っていない
昭和40年代ですよね。

僕が住んでいたところは、昭和50年代にマンションになり、
最寄りの高島町駅も無くなりました。
銭湯もなくなり、当時のままなのは、エビ天の角平だけです。

さらに、昭和59年からは、日能研という進学塾に通い出しました。
確か、シンセサイザーを触ったヤマハは、
天理ビルから、岡野町の交差点に移り、DX7やDX9とかいじって。

ALIC日進で、ラジコンやパソコンを覚えて。
毎日、塾が始まる前に、
旧東急ハンズから、平沼高校方面に抜けるオフィスビルの1Fになる
お店に通って、PC-100やら、Apple2のマウスに驚き、
勝手に、BASICのプログラムを入力していまして、
そのうち店員さんと仲良くなって、データをカセットテープに保存してもらったこともありました。
なつかしい。
小学生でBASICをやっていて、レースゲームとか作っていました。

そして、平成に入ったバブル崩壊の頃、
横浜駅東口に行くと、代々木ゼミナールがありまして、
英語は西谷先生やら青木先生やら習いましたが、ずいぶん最近だなと。

その次は、桜木町〜野毛ですが、
相変わらずストリップ劇場も、映画館もあって、ある意味当時のまま。
みなとみらいも無かった時代に、
6段変則のリトラクタブルライトの自転車で、
大岡川沿いを走っていました。

というわけで、子供の頃から、PC88やらMSXとか、Appleとか、
やりたいことをやって、
考えていた将来の仕事をやっているわけで、
ブツブツ文句言うものの、
ボクが、子供の頃考えていた目標は、まあまあやってきてるなと。

明日は何を話すかなとか、イロイロ考えていると、いつの間に10キロ
歩いているのです。

そんな40歳ですね。

拍手[7回]

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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