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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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ここのところ、サンフランシスコにいったり、
東北に続き、、、

沖縄の定期検診というべき
やんばる先生の病院へ向かいました。

毎回、夜遅く(朝方)までお話をして
過集中で時間を忘れるのですが、

多くの人には当然で、
僕にとっては初めての気づきが毎回あり
面白いこと、興味津々で

連日その話ばかりになっています。
周囲の人やFacebookでも
煩いな、なんて思われているかもしれない。

飽きれば、それまでなので
徹底的に、考えたり、学んでいる。
最近、関心は自分の外側に向いて来ている。

自分の長所として考えているのですが、
気づいていなかったこと、
優先度が低かったことへの気づきが
いまさらながら、すごいこと、
ショックだなとも思っている。

目くばせや、話し方
伝え方は、言葉だけではなく、声、トーン、表情
五感で伝わる。

飛行機で
修学旅行生と、ツアーのおばちゃん一行。
実際は、おばちゃんの方が煩いわけですが、
キャビンアテンダントの方々の表情や目線を気にしてみた。

狭い空間で、
動物的にも人のパーソナルスペースが
スレスレな状態では、機嫌が悪くなるのだろう。
言葉の使い方も、そして目線や
少しでも和やかな雰囲気にするために

いつも以上に、キャビンアテンドさんは
ピリピリとした行動と、反して表情は和やか。

対応も、目線や顔の角度、姿勢など徹底していることに
初めて気が付いた。
なるほど、
ボクは、いただいたコーヒーのごみやら
周りの人への配膳のサポートに気を回してみると
目と表情に深さがある気がした。
きちんと、伝わるのだなと。
(とはいえ、多数派ではないので、そこに
CAさんを口説こうとか、損得勘定はまるでないけれどもね。)

この、
僕の気づいた感覚そのままで、飲食店に行ってみる。
挨拶をして、
ちょっと、和やかなお話をしてみる。
お店の人は、数か月前に行ったことを覚えているそうだ。
そして、サービスでメニューにないものを用意していただく。
食べた後には、感想を伝える。
(お客さんの意見や感想がとても気になるはずだ)
ご飯を食べて、食器をきちんと重ねる、挨拶をして出てきた。

当たり前なことを!

なんて、普通の人は
思われるかもしれないけれども、
ボクも、親のしつけもあり、
表層的には、態度は悪くない(と思う)し、ちゃんとしてきた(つもり)
でも、相手の立場で考えることは、まるでできなかった。

いつも、コンピューターに向かい
効率的にだとか、売上げだとか、面白いアイデアを考える。
この部分に特化していて、
ボクは、当たり前なことですけれども、自分の中に
確たる基準があって、それを中心にしている(気がする)

そうじゃない世界の人は、
ボクと深さは一緒だけれども
人がもっと存在していて、人との関係性を重視している。
人より、上や下のステータスも。
自分が一般的なのか、周りを気にしているだろう。

もちろん、ボクは、
ITやコンピュータ、ゲーム系の人種な気配は感じられるだろうし
何か、コミュニケーションが足りなくても、
そういった種族に見えるのでしょうけれども
一般的には、
うーん、でも、なにか足りないと思われるのかもしれない。

ということで、
人を良く見る
感覚を維持したまま、沖縄の街をあるくと
子供のころを思い出した。

「話すときは、相手の顔を見なさい。」
ボクは、人の顔を見ないで話していることを気づかなかった。

そこで、幼稚園の時に、言われた通りに
先生や友達の顔をきちんと見たら
かなり、注意された。
親や先生の言うとおりに、相手の顔を凝視したのだと思う。

この経験は意味があって、
生まれた時から、人の表情に意識がなかった
つまり、アイコンタクトをすることができなくて
自分以外が、自分のように利己的でも
感情的でも、世界を持っていることを知らなかったのだと思う。

自閉的で、
相手と自分の関係や距離を
はかっていなかったと思っている。

というわけで、最近どうも、
ボクは、空気の存在は理解して、実は敏感なのだけれども、
その空気の意味が理解できていないのでは
という先生の指摘に、なるほどと。

だから、
相手の配慮や要望に、
過剰に、遠慮することがあるのだけれども
そもそも、その意図を
理解できていないから、なんとなく全体性で遠慮しておこう。
ってことがある。

だから、ちょっとズレているけれども
南雲くんらしい なんて言われるのは、このせいかもしれない。



今、考えていて、
大きなテーマなのですが、
僕のような気質の人の場合、
長い時間、長い日数一人でも寂しくない。
だから、一層、周囲の人々や、共同体、社会の存在が無いと
現実感に乏しくなることが多い。

要するに、
朝、ご飯ができた、と起こされて
現実の空間で、家族がいて、友達がいて
面倒なけんかやトラブルが発生したり
酒飲んで騒いだり、遊んだり。
悪いこと、ずるをしたり。

そういった、生活や、
リアルな行動でいっぱいになっていると
今を自覚できないからこそ、
周囲の関係性によって、自分が存在することを確立できる。

逆に、もし
現実での人々との関係性が希薄になってしまうと。
自分を中心とした思考がかなり支配をするので、

社会そのものの存在を疑ったりして
哲学的な思考。
存在とか、時間とか、物質とか
深くロジカルになると、脱社会的な発想になり、
生きることそのものの価値が何なのか
分からないから、調べたくなったり、疑ったり、
普通には、スリリングなことでも、確かめたくなる。

イスラム国に若者が関心を持つってことも、、

バックパッカーで学生時代に旅をする
ことと類似しているけれども、
通常は、
世界中の人々との関係性を広げたいという意味がある。(と思う)


けれども、渡航経験が少ない者が、
イスラム国に行くということは、
そもそも
日本や、多くの多数派的な国家や、社会、
常識そのものを疑い
現実感を確立するためじゃないかなと
若者の気持ちにもなってみる。

だから、
現実の人とのつながり、が大切
という短絡的なことではないのだけれども、

周囲の共同体での支えが無いと
危ないなと考えている。

言葉が無くても
人のつながりや、非言語的なコミュニケーションが
希薄になると、ボクみたいな人は楽なのだけれども
そして、1日8時間も机に向かい、PCに向き合っているのが普通だけれども
日常の行為に現実感が乏しくなる。

だから、一人にならないためにも、
集中できないとか、息抜きということは必要で、
仕事でも、お話をしたり
フラフラして、給湯室で噂話をするような
IPメッセンジャーで、私用なやり取りをすること
ズルしたり、いい加減だったり。
極々普通なことも、とても意味があるのだな

と、いつものように、取り留めないのですが、
考えてみた。

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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