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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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最近は、興味深いことを
調査をしたり籠って研究する機会が多くて
11月末まで、会社にいかず
みなとみらいやサンフランシスコで活動しようと
予定しています。

ボクには、過集中の特技とも、
言い換えれば、病気でもあり
考えてみた。
多分、ITやゲームの分野の人には多いと思う。
そして、程よく制御出来ない場合は、
過集中でどういった問題があり、良いことがあるのか。
若いうちにつきあい方を考えた方が良い。

夕方になると、電池切れになり、
意識が遠くなり、フラフラになってしまう。
解決のために、ランニングやら減量など鍛えたのですが、
結局、この過集中で
脳の燃料切れが原因で、
さらに、面倒なのは、この対策のための
ランニングや減量、筋トレまでも
過集中になってしまっているという、
スパイラル。
でも、キチンと活用をすることも考えている。

過集中があると言うことに気がついたのは
30歳過ぎてから。
以前は、
「多くの人は、
誰でも好きなことがあれば集中するでしょう。」
と言う中途半端なことを真に受けていた。
対策が遅れた原因。

過集中を利用すれば、
テストや受験の一夜漬けでも
速読も、もの凄い情報の処理も
土壇場のピンチでも、
うまく抜けられるコトが多いのですが、

エネルギー消費が早く、
その後の虚脱が酷くなるので、
先生からは、
サブエンジンを動かす感覚で
と言われている。
多分、起きている間
常に、脳のタスクを100%にしないときがすまなくて、
その調整が出来ず、
常に、何かを考えていないと、生きていけないのだと。

面倒なのは、この歳になって、
ソーシャルの仕事をやり始めたこともあり、
人に興味がある。
(だから、慣れない人に合わないようにしている。)

例えば、社外ではじめての人のMTGの場合、
表情や
このトーン、会話の流れを異常に注意をする、
次に、どういう発言をするか
先読みする。
この発言で、嫌な雰囲気になったなとか、
眉毛があがって、トーンの傾向をみて
この場の空気に対して、違和を覚えているな。
内向形性格気質だけれども、攻撃的で
コンプレックスは、これで、とか。
でも、この人の思考の範囲は、ココまでだから
1歩先の質問をすると、本音が出ないから
あえてズレた、3歩先の質問をしてから
1歩先に戻してみよう
って、考えつつ、そう考えていないフリをしよう
とか。多分、人は理屈じゃないって、
お前、上から目線なんだって怒られると思う。

気が合う人、いつものメンバーは、そんなことを考えない。
だから、ボクがアイデアやマシンガンになっていたら
とても良くて、
逆に、社長っぽく?紳士的に静かだと、
頭は、もの凄い過集中なことになっていると思う。

多くの人が
直感でハードウェア処理を
ボクは、ソフトでやっているから、本来の目的以外の
CPU負荷が高い。
なので、ボクが黙って聞いているときは、
かなり危ないのかもしれない。

ボクの歴史ですが、
事故が多くて、記憶が正しければ
幼稚園に入る前
3歳ぐらい
電池が消耗して、おもちゃの電話が
動かなくなると、応答がなくなり、
壊れたと思って、すべて分解をしてしまった記憶がある。

その過程で、ベルを鳴らすメカや
プッシュボタン(当時はプッシュホンが珍しかった)の
バネの仕組みに納得して、
結局、全てが興味となり、全て壊して(バラす)しまう。
もの凄い怒られたので、覚えている。

幼稚園の年少の頃、
コンセントにプラグを入れると、
電気製品が動くことが興味深くて
指を入れると、ボクも何かなると考えた。
コンセントには、指が入らないので
針金を入れてみた。
感電すると、指が離れにくいことが分かった。
さらに、不幸だったのは、
プラグを差すと火花が飛ぶので
導通させようと考えて、用意周到に、
様々に曲げたカタチの針金があって
最初にU字の針金を両側のプラグに入れた。
ブレーカーが作動する前に、
ショートして、熱を持って
大やけどをした。

空気で息をすることが分かったのだけれども、
なぜ、息をしないと、
苦しいのか分からなかったので
鼻にモノを詰めて、空気が入らないように
パチンコ玉がフィットするので、
両方の鼻に入れた。
口を塞ぐと苦しかった。
パチンコ玉が取れなかった。

集中をすると、親や周りが気にならないぐらい
本を読んで、空気や酸素を調べて(聞いて)
すぐに、面白くなって
衝動で行動をする癖を
幼少期には持っていた。

缶詰を開けたあとに
指を入れると、切るというので
どういうことかと思って、
指を入れて
無理に抜こうとしたから、
指が切れて血だらけになった。

小学校低学年になると、
その集中する時間が、1日どころか2、3日となり
延長された。
自動車のプラモデルや鉄道模型を作り始め
電気に興味が合ったのか、
電球(ムギ球)や、モーターを接続をして
電圧をあげるために、増設をしたり、
半田の作業をして、接触が悪かったりして
ご飯も食べずに、
寝ずに、作業することが続いた。

親は、自由に挑戦させていた
(方だと思うけれども)
さすがに、病気になると、
鉄道模型は取り上げられた。
既に病気だったけど。

高学年になると、
アマチュア無線、オーディオ、プログラムなど、
すぐには出来ないこと、
学ばなくてはいけないことが増えて、
継続する期間は1週間ぐらいになった気がする。

そして、中学になると、
神奈川県の共通のテストで好成績だと、
パソコン(X68000)を買ってくれる約束をして、
多分、全教科満点だったと思う。
期間はインターバルもあるけれども3ヶ月
達成すると、気が抜けたw
受験合格のご褒美にしたほうがよかったのかもしれない。

過集中として、
飲み食いせずに、トイレに行くのも面倒で
漏らしそうになるぐらい、時間も分からなくなる。
寝ない。
継続して考える期間は最大3日
ハマって、3日、1日休み(インターバル)の連続でいくと
最大3ヶ月(今は)
長期的なプロジェクトは出来ないと考えている。

ADHDは、落ち着かないと言われるけれども
興味ある情報がたくさん合って、
普通は、フィルターをかけるような、
一見、くだらないことに興味あるから
衝動的で、フラフラしてしまう。

面倒なのは、ASDの要素は
興味の一つに集中するので
合体した両方の要素で
過集中になるのではと予測している。

感覚的に何が起きているのか
というと、
考えることが夢中で楽しいから、
厄介なのだ。苦しいことはなくて
本当に夢中で楽しい。
多分、ドーパミンの過剰と、
それを抑えて制御する機能不全じゃないかと考えている。
確かに、誰にでもあると思うけれども、
止めれないし、今やらないと、先がないと思ってしまう。

障害としては4つある。
忘れる。
まわりの音も聞こえない。相手の都合も考えない。
スケジュールも忘れる。

ことばがでない。
知能的に
相手の1.5倍の速度で先に進んでいて
言葉にするのがおっくうで、言語がついてこない。
この発症中は、確実に吃音が復活する。
思考が先に行きすぎていて
動作が(動作性IQが低い)遅く、ミスマッチが
過集中に極端に発生していて、
話す時には、すでに終わっているのだ。

雑になる。
手作業だったり、字を書いたり、
アウトプットを伴う場合は、
作業は雑になる。頭で出来ているのに、
人に説明したり、手を動かすことがついてこない。
過集中の工作や目に見えるモノの作業は
とても、雑で、手作業や工作は避けるべき。
ひらめいて、PCに書く場合は、誤変換や
全角、半角違いに気がつかなくて、
指も高速で雑に動き、
ミスタイプしていると、腹立って多分、PCを壊す。
(何台か壊した。)
脳を100%にしていることが快楽なので、
低下させることがあると、腹立つ。
別人になっていると思う。
だから、メモやアイデアは絶対紙に書くようにしている。
PCだと、スタンバイ復帰が遅くて、
浮かんだアイデアが消えそうで、キレて(投げる。)もったいない。
SSD時代は、こんな心配も減ったけれども。

コミュニケーション。
ボクの理解は、
多くの人も当然理解していると思い込んでいて、
先述のように、相手を
上とも、下とも思わないけれども、
自分の持っている情報を
相手も持っていことは当然
と考え、詳細を伝えないから、相手は大変。
相手を伴う作業や思考の場合は、
思考の速度に追いついていないと、
「なんで理解出来ないんだよ、
どこまで言語化して教授のように、深堀すれば良いのだ!」
とか、
「脳ミソがすり切れるぐらい、ケースパターンを考えているのに読めていないんだ」
ってキレるぐらい、腹立つ。
まあ、死にそうなぐらい快楽的に考えているので、
勘弁してほしいけど。

ボクのレベルを、相手に求めて、それまで至っていないと、
仕事をしていないかのように、認識してしまう問題。
逆に言えば、他者を下げて見ていないともいえる。
これは本当にいけないことで反省すること。

また、過集中の問題と異なる可能性もあるが、
少々気がつくこともあって、
興味や関心に対して、徹底して自分が納得するために
手段を選ばないこともある。
猟奇的であったり、危ないことも
目的のために
してしまうのも、何か関係あるかもしれないと、
思っている。

この期間を過ぎて、3日ぐらいになると
動けないぐらい
耳鳴りや、食欲不信になり、
偏頭痛が高い確率で発生して
せんき暗点になりやすい。
何も考えず、じっくり休むコトが重要。

それでも、特技に依存するのは
体力の消費が大きく、危険だけれども
止められない集中で生み出す成功が多いのも、
個性の一部であるのも
事実。

最後に対策として、
1.カレンダー
ボクは、過集中になりそうなこと事案が予測出来るので
過集中カレンダーをつけている。
次々とテーマを変えて、
集中と集中の間に1日休暇を設ける。
要するに、今月考える予定をキチンと決めておき、
それを超えたら、
別の魅力的な興味深いことに強制移行するようにするのだ。
予定を過ぎるとパニックになるので、
過集中になりそうな直前に、我慢して
作業や目標設定を細かくしておくと。

また、車を運転することに集中をすると、
過剰な安全運転だけれども、
息抜きになって、景色も変わるから良い。
幸い、スピードなどギリギリを攻める集中ではないようだ。
むしろ、3,500CCなのに、リッター13キロを超えることに拘りだす。
念のために、
安全装備と、自動運転に近い技術がある車に年頭から乗っているし、
そういう、集中しないといけない車にした。
ぶつけてよい車だと、荒くなる。

他に集中しているときは、絶対に車に乗らない方が良いともいえる。
そんなときは、車を忘れて、電車で家に帰ることが多発する。
先日も、擦った。
凹んでいないけれども。

2.今日のことは明日に先延ばし
今起きている二次障害として、
1-3ヶ月で完全に集中が切れる
コトを知っているので、
過集中が以前にも増して、もっと早くやらないと(集中が切れる)
いけない強迫感がある。
だから、自分のできないことは無理にせずに、
研究している分野の専門家に、早く任せる癖を付けること。

ユードーが、コミュニティに移行しているので
利用者の分析が面白くて
社会学、心理学、さらに、
表層的な情報にならないように
東洋思想や、最後に、日本人とは、、、と西田幾太郎まで行き着き
大学院受験のための問題集まで興味がすすみ、とまらない。(今ココ)
(海外もあるので、たぶんそれはないけれども。)

3.知らない人に合わない
先述のように、
ボクはアイデアや、主義や意見が強いので、それに過集中する。
相手から、コイツは、(悪い意味で)普通じゃないな
って言う空気になりがちで、
また幼少期のイジメの経験もあり、
ボクも徹底的に論破しようとか、戦闘モードに入るので、
合わないようにするか、事前調整してもらう。
特に、立場が違う、
組織内の思考の相手が理解出来ないので
集中して、相手の分析をはじめる。

クリエイターで、社長でもあるので、
プロジェクトの成功というのは、最終的には
作品であったり、アプリだったり。
最後は、売上げだとか経営に結びつけるのですね。
「だから、そんな小さな社内調整や、
プロセスじゃなくて、目的は何か?とか」
ブチ切れて、ボクも変貌するので、嫌だなって思います。
でも本音。

まとめると、

過集中というのは、本人は嫌じゃなくて
100%ギリギリに脳を使うような快楽だから
自分を制止できなくて、
一発勝負の、興味のある分野の試験だったり、
思考力の問うIQテストははやい。
でも、とっても無駄な深い研究や研究費にもなるし、
良く向くと、企画アイデア、困難や、問題解決へのアイデア出しに繋がる。
時には、集中して考え抜いた、自分の徹底した理念を通すために
体裁を分からずに、相手を攻撃するし
達成のために手段を選ばないので
自分も脳を全開に使って、疲弊をする。

だから、3日ペースで脳を休ませる。

ちなみに、最近ボクは、程よく集中し、
その集中も客観的になるように、
コンサータを飲んでから、改善しているようです。

まあ、いろいろなことに集中出来れば良いのですが、
テーマは、残念ながら限られていて残念。

幸い、仕事は合っているからこそ、
遊びを真剣に命懸けでやっていることです。

過集中のご利用は計画的にってことですが、
ボクの経験と主観なので、医学的にどうなのかは
わかりませんので、、念のため。

拍手[6回]

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ボクは、毎朝ラジオを、
Peter Barakanのバラカンモーニングを聴いている。
けれども、もうすぐ番組終了してしまうらしい。
とても残念。

最近のヒット曲でも、流行のサウンドでもなくて
Marvine Gayeだとか、Sly and The Family Stoneみたいな
朝から、黒いのですが、なんというか、それでも番組が静かで
ボクの車は、ノロノロ運転で、まったりゆっくり
落ち着いていて、朝からの活力になる。
さらに、ボクは、サウンドから、
作曲的な分析やら、音色など頭に入ってくるわけですが、
ピーターバラカンさんの場合、
歌詞から解釈されているので、ボクは新しい発見の連続。
今まで当たり前に聴いていた楽曲が
違う聴き方になるのですね。

ラジオは大好きなので,
FMはよく聴きます。

最近は、DJの方が勝手に四分打ちにして90年代のような(古くさい)
ノンストップミックスだとか、
サウンドいじることが当たり前になって、
ガチャガチャしていて、嫌だなってことが多々あります。

FMラジオの持つ、静かでゆったりしていること、
ラジオ局のセンスや方向性から生まれる、番組。
局それぞれの個性って、面白いなって感じるのですが、
歳なのか、しずかな番組が良いなって思います。

だから、ボクの立場上、
ラジオ聴いていて、カタカナ言葉でベンチャーだとか、起業だとか
エコとか、ロハスって、知的消費エコのような
そういうのも嫌らしいとか思う。
聴いていてはきそうになるなぁ。

唯一、朝の番組は、気が抜けているのか、
個性的なのか
どこのFM局も、個性やぬくもりが合っていいなって思います。

その中でも、InterFMは、
反商業主義というべきか、スポンサーなり、局が困ってしまうのか、
アーティストが、自分本位な言葉、
サウンドを伝えていいる気がして
そして、参加していて
静かな中でも熱さを感じます。
バラカンモーニングは、
多分、ギターリストの渡辺香津美さん(だと思いますが)
も一般投稿されていて、よく耳にします。
一方向ですけれども、SNSのようなホットさがあります。

最近のFM局のような、
頑張らないといけないような
忙しさ、激しさがなくて、好きな音楽を、自分の言葉で語り
淡々と続く。

ボクのFMラジオとの関係は、
1984年ぐらいですから、30年前。
NHK-FMのサウンドストリートを聴いていて
いろいろな音楽を知ることとなり、
小学生なのに、XTCやらハワードジョーンズとか
ニューウェーブ系のアーティストを知って
佐野元春さんや、教授のラジオを欠かさずエアチェックをした。

視聴率も意識(をしそうもないけれども)することもなく、
涼しく語るアーティストってカッコいいなって思った。

ピーターバラカンさんは、偏屈って(自分のことを)
いいますけれども、
偏屈こそ、魅力的でもあり、本当な自分を知っているんだと。
ボクの先生も、偏屈者宣言と伝えていますけれども、
この世の中、偏屈であることがいかに大変か。
けれども、おじさんたちは、
偏屈で嫌われても、
何しても、その人なりの本当の気持ちを伝えることが
とても重要かと思う。

ボクは、あまりイロイロな人に合わないようにしていて
合ったとしても、
考えていることをそのまま伝えるように心がけている。
だから、空気を読めないけれども、
場の空気をおかしくしても、
何かピンチや問題の際、攻める時には声がかかる。

持っているものに自信があれば
それで、一瞬目の前の様々な小さなことを失っても
絶対にもっと大きくて、絞り込んだモノがくるなと。

だから、偏屈者であるということは、
多様性や柔軟性、瞬間的な合理性、経済性への否定であり、
空気を読まないことであり
けれども、特化することで、品質を維持出来る。

ボクは、どうも消費型な音楽に疑問を感じていて
ピーターバラカンさんの説明を聞いていると
そのサウンドの根深さ、サウンドそのものじゃなくて
アーティストの背景を言語的に考えられるのですね。

耳障りが良い、だけではなくて、考える面白さなのでしょうか。


番組が無くなるのは、本当に残念ですが、
ピーターバラカンさんのイベントは、参加して行こうと思っています。

ちなみに、教授のPerspectiveの歌詞は、ピーターバラカンさん。
ボクの生活は、そのものです。

May'be that's their way of life.

拍手[1回]

最近だと
「斉藤さん」であったり
若いころ、「ビーマニ」やら開発をしていて
遊んでくれる、多くの人とのかかわり
ヒットを出すために、その時代背景を考えてみたり、
思想にはまりだす気持ち
何だろうって考えてみた。

小学校2年生の帰り道
広島原爆投下に対するイベントがあり
興味と驚きで参加した。
さらに、開催していた共産党が、
無思想な子供に、沢山署名を
取ったことで
近所の方とトラブルになった。

ボクは、
世の中に、
人を傷つけあう戦争があるということ、
原爆は一瞬にして、人の命を奪う
見ることができないぐらい、
無残な死に方をする
さらには、
共産主義や社会主義、民主主義といった
思想や政治があり、
こんな、考え方の一致不一致で
命をかけていたり、

日本人と同じような、
アジアの人なのに、
ハングルという言語で国が二つになった
朝鮮半島
当時は、光州事件などのデモが激して
テレビで連日ニュースになっていて
韓国など、知ることとなり
世界、なにやら、イロイロあるということを知った。

80年代ですから、図書館や本屋で
新聞を読んで、調べて、夢中になった。

小学生あたりから、外の世界に気がつき、
分からないことや、
不思議なことがたくさんで
自分が、存在することも
今という時間のとは何なのか。
宇宙には、星があるのか、
地球は宇宙のどの位置に存在するのか。
宇宙の先には何があるのか。

そのような不思議なことが沢山あるのに、
人々は、
なぜ分からないのに生きていけるのか。
学校の先生に質問をしたりした。

授業を止めてしまったり
友達には、避難されたり、
陰口で「自慢」(ボクのような気質の人は、言われるみたい)
とか
いじめを受けたりして、苦しかったけれども、

教授や中沢新一の対談を読み、
吉本隆明を読み、
なにか、分かったつもりになることで、
自分を解決していたと思う。
本当は、難しすぎて、何もわかっていなかったのに。

小学生で、思想や哲学に夢中になったわけは、
ちょうど日本の80年代、
知的なこと、学ぶことを消費するという、
ニーアカなんでしょうけれども、
音楽から、アート、文学まで
知的生活が広がっていた(と思う)
豊かになった、日本の新しい時代、

当時、
難解な物を理解しようとするそのことが
ゲバ棒をもっていた、
なんとなくクリスタル
団塊世代が社会参加した、日本だったのだと思う。
分かったような、分かろうとする思想を、
消費財にする風潮だったのかと。
まさに、ニーアカってわけだ。

雑誌宝島も、ビックリハウスも
サブカル雑誌がポストモダンの記事で

ボクも、
意味が理解できなくても、「構造と力」を持って
YMOや教授のマネというか、
ファッションとして、小学校に行っていた。

全く良く分からなくて、最近読み始めたけれども、
音を視る、時を聴く
音は耳から聞こえるけれども、
目の前の音とは何だろうか。
読んでいて眠くなったけれども、理解したふりをしていた。
サウンドストリートを聴いて、
洋楽をチェックして、JAPANやXTCとか
知るコトになる。

でも、働き始めて、当時は90年代で
気難しいことは、何もプラスにならないような、
知らないこと、分からない方が、楽で、
サンプリングして、引用するような
DJ文化で、
明瞭な既存の答えの引用が、人に説明しやすい。

ウンチクによって、ヒットが生み出せるのか。
だから、郊外の人々の生活を観察しよう
最近だとマイルドヤンキーなんて言われますが、
考えないで、現実に見えることを大事にしよう。
という、今のボク、があるけれども
青年期から影響受けた、
ホコリがかぶっている本。
引っ越しとともに、数十年ぶりに
読み始めた。

最近、このころの気持ちがあったこと
思い出した。
40歳になっても、
中二病というやつ。

些細なことで、よく話すのですが、
今でも考えることがあるけれども、
ご飯を食べる際に、
目の前にある、肉は、
牛や豚を殺して切り離した体の部位そのもので
肉汁はそのものの血や油であり、
生きているものであったこと。

動物の親と子供が引き離され
子を生んだ親がトサツ場で命を落とし
そして子供も、いずれ成育すれば、
機械的に出産して、再び、人間に殺されていく。
でも、思考や理性、自意識が動物になければ、
悲しいとか、痛いとか、残酷なのか
感じられるかはわからない。
ちょっとだけ、ボクは、拒食症になった。
もともと、
お弁当に擬人化した食べ物があると
残したぐらいだし、

マザー牧場で「羊のショウ」を見た後、
ジンギスカンで、マトンを食べることになり、
何も考えずに、おいしそうに食べる人々と、
先ほど、かわいいと思って楽しんだ子羊と
同種の羊を食することが
気分が悪く、人間の恐ろしさを感じた。

そういった、世の中とは、
良く分からないことだらけで
でも、多くの人は不思議だけれども
考えずに行動をしていて
そのことにボクは気になり、
自意識が芽生えたころに、
すでに息苦しかったのかもしれない。
ちゃんと今を考えてみようと。

だから、人間も
羊のような、同じような気もしていて、

多分、一貫して、ボクの会社の理念にもありますが、
「人はいつか死ぬものであり、死ぬために生きている。
けれども、死ぬことが目的ではなく、その過程をどのように生きるか。」
と考えている。

死に急いでいるのか?
といわれるぐらい、
最近、焦燥感が強いのですが、
沢山の喜びやアイデアでもっと成功をすることができるのか。
妙に最近考えている。

ボクは、40才で、今まで生きてきた40年をプラスすると、
80才であり、後半戦だと考えている。

だから、僕なりの豊かさや知的な生活を一番に考えていて、
さらに、売上も、年収も、目の前の現金も、
実現のための手段に過ぎなくて
本当の豊かさを考え続けている。

ヤンチャなこととして、
20代で、夢を見た最速のスポーツカーも、買ったし
美しいメルセデスが買えると思えば、最速で乗る。
なぜならば、「今でしょ」で、
それでもも、何かが達成したことではなくて、
手段にすぎない。

もう時間がない、あと20年と考えていて
今は、何もかもを精一杯、楽しみ、学び、詰め込み
結果的に、脳みそを満足させることで
頑張っている。

最近、
ミシェル・フーコーを勧められて
読んでいるのですが、
それは、80年代流行った
ポストモダンを思い出し、大人になったので
解釈が変わってきた。

市場経済や、効率性や無駄を排除し
経済成長した構造主義の
次の近代
80年代後半の日本のように、バブルと付加価値の構造としての
ポストモダンがわりと理解できて、
今考えてみれば、
「まったく意味がないけれども、何か面白い」
「意味がないからすばらしいのだ」

多数派が「たのきんトリオ」とか
戦隊系とか、
うまく迎合できないような、世界の中で
ボクは、知的ごっこをして、
ローリーアンダーソンとか、ナムジュンパイクを見ていた。
何か、自分が違うからこそ、多数派を斜めで見て
滑稽で、シュールに見る。
そういう自分というナルシズムで
確立していた気もしている。
モノではない、欲求を満たすことなのだと、、、

フーコの狂気の歴史で言うところの、
ボクらの作るソーシャルでの
魅力的な人々
何が普通で、普通じゃないのか。
普通じゃない物に対して魅力的だったり、
欲求が満足する。
自己実現だったりする。

そんなことを悶々と考えている。

いつものごとく、悶々と吐き出してみた!

拍手[4回]

「24時間働くことを美徳」
とするような、経営者の発言って問題になる。
一方で、
「日々音楽を考えています」
とか、
スポーツのフォームを整えるために、
24時間の生活を整え、毎日同じご飯を食べている、って言うと
すごいですねって、尊敬される。
個人だから。
でも、普通の人はそんな会社で働きたくないし、
そんな人のマネージャーになるのは嫌だと、

経営者の人は
その事業や内容が大好きで、長い間休みなしで働いても
趣味のように、本気で集中できるのだと察する。社長さん向きだ。
アーティスト、スポーツ選手、と呼ばれる人も
作品について、悩み、喜び、苦しむ
それ自体がその人で、
結局、少数派の経営者もアーティストも一緒なのだ。

最近どうも、
「集中」と「こだわり」で結果を残す人というのは、
少数派の種族ではないかと。
ボクは、偏っている知能を疑い、
コンプレックスに思っていたけれども
活用しなきゃもったいないぐらいに思った。

特異性は普通の人(=多数派)は違うということ、
強いてもいけない。
理解しないといけないって
かなり指導を受けた。
だから、じっくり考えるようになった。

さらに、多数派が努力をして手にする、
憧れのような、
狭い門の特殊な職業は、少数派にとって、向いてさえいれば
あまり苦労をしていないのではないか
と考えている。

思い出せば、就職も、当時は大学いかなかったのに、
数社受けただけで、好きな業種に就くことができた。
一般的な就職活動や転職活動もせずに、
紹介だったり、何かしらどうにでもなった。
普通の仕事やバイトはすぐに辞める
続かなかった、というかできなかったけれども、
一生懸命やっているつもりでも、評価されなくて
一生懸命やらなくなった。
うまくいかないものは、根性論でがんばっても
うまくいったことがあまりない。
がんばらなくて良かった。

好きな仕事は、楽しさが上回って、
苦労をした自覚がないのかもしれない。
その反面、音楽でご飯を食べていたのに、
興味がなくなったって思って、
あまり考えずあっさりと辞めた。
たぶん、考えられないと思う。普通の人は。

ミュージシャンやアーティストと話をすると、
懐かしい昔話、美談や、
縁や偶然で手にしたってこともあるけれども、
実は、何度もチャンスがあって
本人以上に周りの評価が高い
技術は未熟でも、誰もが思いつかない視点の作品だったり
センセーショナルでデビューは斬新だったりする。
時代で新しかった、とか
イっちゃってるとか。
けれども、がんばるけれども、
それ以外はふしだらだったり
普通なことに対する適応能力はエラく低い。
(気がする。すみません)

働くことに関して、自分を分析をすると
・マイナスからゼロに持っていくことは
とても苦労をする。
たとえば、
音楽から企画や経営に転向して大学に行った時期
赤字から黒字に持っていく
この時期は共通して、
本をやたら読むので、経費を調べると新聞図書費が伸びていると思う。
知能が低い部分を延ばすには、相当学ばないとついていけない。
リストラとか、育成、コミュニケーションやら人間的な作業だったりする。
パフォーマンスが低いので、労力に対して結果が出にくいので
誰がなんと言っても、
無駄で、やるべきではないのだ。

また、「副社長」を用意すれば、なんていわれて、
最近わかったのは
組織を作ったり、規模が大きくなるのは
名前も覚えなくちゃいけないし、人間関係も複雑で
想像しただけでゲロを吐きそうだ
けれども、そんなこと僕がやらなくても良いのだ。
自分の欠点に気がついた強みかもしれない。

逆に、企画を考えたり、音楽を作ることに関しては
悩まないし、俊足で答えは出る。
歳は取っても、劣化したとは自分は思わない。
それは、何しろ楽しいし、結果は出ているし
考える前に、考えているからなのだ。

多数派の忍耐や根性論を捨てて
「楽をしてパフォーマンスを出す」
「嫌なことはやらない。」を考えれば、
すべての答えが出るのかもしれない。

ポジティブな意見として
「誰もががんばれば、夢は実現する」
ってあるけれども、
僕は疑っていて
得意不得意を早くわかったほうが良い。
不得意なことが生活の大半の占めるのであれば、
苦労続きな仕事であるならば、
向かないと自覚した段階で
ストレスがかかるし、
人生で無駄な時間を消費するので、早くわかったほうが良いと考えている。

ボクは、強みと弱みを理解して、
無駄な時間を使ったことを後悔した。
だからこそ、同じような
将来を悩む子供たちや学生に向かって伝えたいと
自然に思ってきた。

もし、知能に偏りがあるということは、
知能全体の平均値が低くても、高くても、
偏差が大きいということになり、
できることに対する、喜びや前向きさは、多数派以上。
逆に、できないことに対する、後ろ向きな気持ちも、多数派以上。
とこれは前向きに。
ますます、得意を伸ばした教育を提供して
だめなことは、
得意なことでカバーするようなプログラムがあると考えている。



職業選択の自由。一応、なんでも選ぶことはできる。

サービスのIT化によって、市民は基本的に情報が均等に収集できるので、
できる、選べる、考える種目も増えた。
専門職も内容が広がり、仕事で求められる能力の幅が広くなった。
何でも対応できることが求められる。

学校にいると、何でも選べるような
自由な世の中に見えることもあるし
それは表面上で、実は窮屈に見えることができる。

ボクが考えるのは
小学生でも、中学生でも、興味あることは
徹底してチャレンジしたり、調査してみて
一生お付き合いができる生活スタイルなのか、
職業を早く見つけることじゃないかと。

好き過ぎて、限界点を超えたら、天職じゃないのかなと思う。
好きなことと仕事は違うというのは多数派の意見だ。
一緒のほうが楽しいに違いない。
もし少数派であるならば、
喜びを感じられる職業の可能性は大きい
って言いたいな。

自分が好きなこと、表現をして経済活動することで
かつての小学生のころのボクみたいな子供に、
希望が与えられるのでは、
と、おせっかいに思っている。

知能テストのような、偏差のように
アップダウンが激しい、ハイリスクハイリターンなのだけれども、
+-は0なのです。

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ボクのヒーローというのか、大好きな教授
病気とのニュース。

けれども、twitterやFacebookをみると、
ソーシャルメディアという集団心理
というのか、日本人の同調性は恐ろしいと痛感した。

誰もが悪意もなく、論じること、伝えること
RTすることへの疑問は先のブログのとおり。

距離の遠い人のように、無責任に論じて、拡散し
この方は職人としても、
伝播というか、拡散されて、どうなんだろう。

集団の心理が、日本人であり
責任の所在がどこにもない、
おかしなことになっていると感じています。
一人一人には、何も罪はない。
責任はない=無責任。

でも、
原子力に関すること、喫煙になど過去の発言と

今回の病気は、まったく別なことなのに、
身近で、大事な人が病気になったら、そう発言できないのに。
それを論じることの目的も
論破することも無意味である。

知の共有が、本当に人々を幸せにするのであろうか。
ボクも醜いけど、怒っているブログ

かつての物質至上主義で考えれば、
昭和の時代、急激な経済成長が、モノを増やし、
公害を助長したように、
人と人のつながり、ITによる情報の拡散
そして、強い言葉だけの集約化が
排他主義であり、あふれる情報により、人が人を醜く
そして、豊かではない、冷たい社会に置かれたような
イメージがある。
数十年後に、あの時期は、情報で荒んでいた
なんていわれると思う。

ボクは、カッコよく言えば、
誰よりも早く、Facebookをはじめて、
Facebookを辞めたけれども。

毎日生活を楽しんでいる人
会社のために必死にPRする人、
面白いことをしている人、大変な目にあった人
子供を大切にしている人
侍のように、働いている人。
生な情報は、影響を受けて、同調したり、いいねとか、応援したり
している。
特に、クリエイターの方の視点はおもしろい。

けれども、その人自身は否定しないのですが
ボクにとっては、どうでもよかったり、
くだらない とか、暗くなるような
悲観的な情報ばかり集まると、嫌なことになる。
だから、
周囲の、クリエイターや楽しい人に限定して
面倒になって
ついにFacebookは辞めた。
そして、新しいソーシャルやら考えている。

ボクは、整理整頓はできないのだけれども、
机の周りをきれいにすることだったり、
家の壁紙の色にこだわったり、
面白い本を読んだり、
毎日、通勤の経路を変えたり、
スポーツクラブに通ったり、
新しい音楽を聴いたり。

少しでも、見えるものや受け取るもの
感じることがよければ、
新しい物事の考えがひらめいたり
気づきが起こる。

ブランドの服を着ていても
見た目は、美しくても、
醜い見え方がする人がいて
さらに、自分が醜いときは何でだろうって思う。
そして、気がつく。

多くの人々は、急いで、考えるそのことを
忘れてしまう。
今ある時間は、その一瞬でしかない。
くだらない、つぶやきに費やす時間が如何に無駄か。
そして、どういう情報によって、
たくさんの人が楽しく、面白くなるのか。
じっくり考えてみる。

ここ数年、体調は悪かったりするのですが、
うまく行っているなってことは、
環境づくりだったりする。
良い人、良い場所には、良いことが起こる。

ということで、
PeterBarakanの作詞、教授の
Perspective


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