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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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最近 いろいろ増やさないようにしていて
モノも、情報も、全てが対象で、

増やさないことで、
じっくり深く考えられるから
と言うことでもあるのですが、
自分の外側の情報がどれだけ大事なのか。
むしろ、答えというのは
外部の情報は引き出し、というか、インデックスで
きっかけであり、答えは
心の中にあるって考えている。

本当の自分の答えというのは、
今はないと思っても、
一回以上過去に思考して
解を導きだしたプロセス付きのデータベースであり
プロセス付きと言うことが重要。

一回考えたことと、
同じコトを考えることは無駄だけれど
新しく外部から加わった情報で
さらに、思考が深くなる。
思い込みが、間違っていることも気がつく。

情報も、ご飯のように
毎日の生活だとすると、
良い食事、悪い食事があって、
基本的に
人間は、頭の思考を停止したり、軽減したり
コントロールを自発的に出来ないと思うので
どうでも良い情報や、ノイズは消した方が良いし、
また、どうでも良いと思いつつ、大事な情報だとか
精査した方が良い。
実は、この部分を最適化した方が良いのかもしれない。

なぜ、こんなことに拘るのかというと、
インターネットが仕事の現場に
90年代後半に導入され、徐々にイントラネットを解禁し
当時は、ネット接続も制限されていたのですが、
2000年前半には、ほぼPCに向かい、
ネットには接続されるのが当たり前な時代になりました。

そのころから、
モニターの情報を得て、狭く考えると
ネットの情報を検索して、サウンドを作ったり、企画や
事業の戦略を練ったりしていて、
実は、練っていなかったりして
サウンドや絵を描いたりすることが、効率的で
本当に作品や仕事に生かせるのか、とても疑問に思っていた。
よく、企画の現場では、ググっても出てこない
なんて言われていたけれども、、、

と言うわけで、
クリエイターで、一日の大半を
パソコンをずっと見てるのって
情報がストリーミングで入ってきて
一つ一つ止まることが出来なくて、
どうもおかしいと思うし、SNSも業務時間中に
常に確認して、気にするのも疲れるので
Facebookはメッセージ以外は止めた。

サウンドの場合は、
頭の中で、作曲をして、空間を作ったり
まとめてから、楽器に向かったり
パソコンに向かうと、効率的でもの凄い意図通りになる。
むしろ、マウスやキーボードに向かう行為が面倒で
頭に、USBをさせれば良いのに、って
電波なことをいつも思う。

頭の中でひらめかなくて、
シンセの面白さ、斬新さや
手癖に依存して曲を作ろうとすると、
その機材の持つ特長や、新しく購入した音の
の衝動に任せて
気持ち的に、見つかっていなかったり、
モチベーションは低いのに
何か、良い作品が作れる感じ。
もちろん、良いことだし、
名曲と呼ばれるなかには、
こんな作り方も多いと思う。

けれども、
作ろうと思ったその時の
外側の機器や衝動や、その時の情報を得た作品や
事業、アイデア、思いつきというのは、
その瞬間の外側による支配が強くて
自分の核が存在しないし、
今後、絶えず、それを上回るぐらいの情報の力学が働かないと
作品が作れなくなってしまうのでは
って不安に思います。
外部に依存していると、何も作れなくなってしまうみたいな。
情報の麻薬みたいなものなのかな??

というわけで、
毎日自然と入ってくる
生活、情報の中で
自然と心に沸き立つ想いや考えで、
自分がきちんと深く解釈して
じっくり制作したり、まとめあげる方が長続きすると考えている。

何かを作りたかったり、
改善したり、チャレンジする時は、
その瞬間に、新しいことをリサーチして、
データベースに単純にストックするだけではなくて

自分は、どう思うのか、解釈するのか。
20年生きていれば、20年分。
40年生きていれば、40年分。
外部に答えがあるのではなくて、
その人が築き上げてきた、考えや
いろいろなケースを元に
他に依存せずに、
毎日の五感のインプットを鍛えることと、
自分の答えをじっくり見つけることではないかと。

常に仕事中にモニターを見続けているのって
情報を埋めていることが、ソーシャルゲームをやるような
行為に対する、空白を埋める安堵感であるけれども
本質的には、何だろうって思っている。

なんか、思っていることを、取り留めなく書いてみた!

拍手[0回]

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面倒くさい時代だなということと、
だから、面白いってこととが同じぐらいあります。

母を亡くした時、ボクは遺骨を食べたいと思った
東京喰種


偶然、書店で横に並んでいて、共に”食べる”コトではあるけれども、

前者については、単語にすると。

等身大でもあり、下手で、不器用でもあり、それが本当でもあり
地方都市でもあり、素直であり、優しさであり、頑張らないコトでもあり。

ボクの世代は、子供の頃からゲームやパソコン、テクノロジーな時期で
日本が格好よくて、90年代のバブル崩壊時も
結果として、ボクは、ゲームを作っていて、あまり影響を受けなかったわけだけれども、
さらに、ボクらが作っていたゲームのターゲット世代、
DigitalKidsというのか、インターネットで
30前後、20代へと、お洒落で、インテリで、テクノロジーな
時期から、

最近、70年代なことば
お茶の間時代じゃないかと思う。

滅多にマンガを買わないのですが、
「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」
どうも、このクサさ(失礼)が、どうも刺さる。

お母さんとか、お父さんとか、おばあちゃんなど家族を語らず
背伸びをして、地方から上京するような、
頑張って、クリエイター面する青年が
お母さんっていうの、
何か、本当さを感じることと一緒。

先日ドキュメンタリーで、
EXILEのリーダーが
母親を武道館のステージにあげて、感謝の言葉を伝えたこと。
本当なことを感じた。
黒い(怖い)ファッションのおじさんから、お母さんって
涙するのに、不自然さはない。

どうも、右傾化かとおもったけれども、そんなことではなくて
世の中、感謝や優しさ、格好悪さを求めている。
僕は、なんとなく上昇して行かないであろう社会で
自分なり、いろいろ下げることで
自己を見つめ直し、確立するような
ある意味、農耕民族的な慎み深い時代になっているのかと。

実は、斉藤さんも、ハラワタ中継というモードを入れました。
1人の配信者が、テレビ電話中継を10人に行うという機能で
当初、ツイキャスやニコ動と同じような機能で、
さらに、参加人数が少ないことで、何の優位があるのか、
と疑問に思ったこともあったのですが、

リリース直前で、
利用する人々の生活シーンや世界、目線を考えて
名称や語句の変更を急遽入れました。



ボクは、自分の部屋やもしかしたら、ベッドで
自分のスペースから、全世界に放送するような
頑張らない、ライブをイメージしました。

実際その通りで、
とても健全で、ピュアで、飾らない。
1日数千人の人が楽しんでいます。

斉藤さんは、通話がメインだったわけで、
常に遊ぶものではなかった。
けれども、通勤途中でも、授業中でも
いつでも楽しめて、
リアルな空間と並行して
斉藤さん空間と共存出来るわけです。

20代後半以上は、テック系でサイバーで
カッコいい生活の見え方、目線があると思うのですが、

ユニクロしかり、そこそこ東京の文化が
中途半端に地方のAEON MALLやバイパス沿いを浸食して
昔ほど、都会に憧れなくなり、
そして、自分の身の回りの自然さを
素直に受け入れる
日本臭い世代、もしかしたら
ゆとり教育世代以後なのかもしれないのですが、
新しい時代になったのだと思います。

テレビのヒーローような、昔のゲームクリエイターのような
カリスマは存在しなくて
AKB48も、秋葉原の意味は消沈し
秋葉原も商業化して、
オタクのメインカルチャーで
今は、日本以外の企業や人たちもIPOを目指し。

そんな、上昇志向な世界に相反するように、

普通の人、普通っぽい人の特技の方が
新鮮で。
永続的に頑張らなくても良い、
まったりした世界こそ、次の本当の心のよりどころになり。


斉藤さんも、利用者は
それに対して、何も思わないし、作ったボクが挨拶をしても
何にも起こらない。
みんな、フラットな関係。
昔は、音ゲーで遊んだ人に何か言われたのにw

けれども、その、思想も意志も持たない
共同体こそ次のSNSのカタチかなと考えています。

ボクは、開発するメンバーを
フォークソングバンドなのか、何かアーティストと見ていて、
ボクは、プロデューサーとして、
言語化して時代やユーザーを分析しているけれども、

有名にはならないけれども、全く開発者であることは、
リスペクトされないけれども、
アーティストは、計算や計画も無しに
衝動的に、作品を発表する。
そういった、ITというよりも、ゲームや音楽的な
成り立ちを考えた方が
利用する人たちに刺さるものと考えています。

インテリでカッコいい、デジタルキッズ
なんていうのは、
まだ未熟で。

人間的で、ダサくて、フラット。
面白い時代だなと思います。
愛とか、青春とか。
武田鉄矢の海援隊が、若い世代に素直に伝わり。
そういうことが、恥ずかしくなく、堂々と言える時代。
その空気感に対して、ITは遅れているなとも思います。

ITやサービスも、ある程度の規模になると
システムやギミック、企画よりも
その世界や空気が重要で、利用者も作品やサービスに組み込まれる。

ボクらは、計算も分析よりも
直感や、気持ちをスグに、衝動的にライブで
ソロプレイをするように、思い付きでやればよい。
IT企業で、事業を立ち上げる
ではなくて、
音楽やゲーム開発と一緒で、強い思いだったりする。

サービスに、失敗=バグや
偶発性、勢い、早さが、面白い時代なのだと。
そのうち、お母さんと一緒に生中継とか。
おかしくない時代になる。

そんなボクも、みなとみらいっていう、人工的で
旧世代な場所で、いろいろ俯瞰している感じもします。

拍手[1回]

がんばらないけれども
がんばるための引越し計画を進めていて

とはいえ、また、沖縄に行っておりまして
歩いたり、レンタカーにのったり、
現地のマクドナルドやら、スーパーマーケットにいきまして
いろいろ瞑想していました。

事務所の契約が終わりました。
みなとみらい5丁目の
ミニシアター フィルミーさんの前です。(地図
3ヶ月ぐらい工事を行います。

実は、この高島というのは、僕が生まれたところでもあり
横浜そごう が無くて、
スカイビルも、なぜか最上階がグルグル回る
素敵なビルでしたが、ちょっと寂しいエリアでした。

このあたりは、入ることすらできませんでしたけれども。



ボクは、今回の移転で
少し引っかかっていることと
とはいえ、まずは体験させてあげなくてはいけない
って思いがあります。

若いころ、
ゲームを作っていたときは、
新宿や渋谷、御茶ノ水やら、神奈川県の県央
など開発をしていましたけれども、
どうも、山手線の周辺よりも、

マイルドヤンキーじゃないけれども
16号線・・・
町田、大和あたりの246沿いなのですが、
そちらのほうが、新規立ち上げに向いているのではないかと。

都市や地方、様々な人々の生活を、旅人視点で見るのではなく
実際溶け込むことではないかと。

ものづくり というのは、
場所はどこにいても、
いつでも 作れる力は必要で、
むしろ、地方ゆえのストレスは重要で、

今時の国内のIT企業のように、
シリコンバレーのスタートアップみたいな
おしゃれさも、中身がなくて、底が抜けている。

40歳おっさんは考えていたのだけれども、

そもそも、クリエイターってなんですか?
とか、どういう生活をすればクリエイターなのか
言葉にして伝えないためにも
正直に言うと、環境を用意して、ガワから揃えると。
そして、才能ある人にきてもらう。

今、多くのIT系スタートアップも、
ゲームを作り続けている人も
マーケッターにも足りないことというのは、
サービスやコンテンツというのは、
利用者(ユーザー)も含まれているという考えなのですね。
利用者も含まれた、作品、商品、サービスなのです。
作り手が、すごいでしょう! っていう
自己満足ではなくて、
人文的な、人なのです。一番難しい。

残念ながら、昔みたいにアーティストや
ゲームクリエイターが、作り手として送り出す
すごい世界観のゲームとか、
武道館でライブをする、、
という、私達の創意の世界で完了することもでもなくて
使ってくれている人、そのものが
主役であり、サービスの中の、デザインであったり、機能であったりして
僕らは、お皿や会場を設営をしている感覚。

そのために、時代のメッセージや
色、コンセプトのほうが重要で。
メッセージが、利用者と僕らが一致していなくてはいけなくて、
そのサービスの発展というのは
彼らの自然でもある集団的な行動と
僕らが、進む先をある程度は予見しつつ
準備をする。

また、僕らも、ユーザーの求めるものに沿っていると
つまらないので、
好きにやってみる。
ユーザーの潜在的な気持ちに刺さったりする。
その繰り返しです。

けれども、作る多くの人というのは、
そういった俯瞰するつもりで庶民的になってしまうと、
発注側や、利用者の”目に見える”ニーズに応え続けていると
先端なつもりで、数年たち
昔すごいものを作っていました的な、
過去の栄光に留まっている、ゲームクリエイターのように
普通の無思考な人になってしまうし

逆に、この人工的な
みなとみらいの街に染まってしまうと、
日本の今の人たちに刺さらない、
斬新で奇抜だけれども、
作り手の似非”反”愚民意識というか、
上昇志向な、時代に会わない感じの
似非スタートアップアプリになってしまう。
(ちょっと皮肉)
80年代に、ニューウェーブといっていた真似事バンドや
90年代の消沈しつつある、渋谷系(渋谷の町だけで売れていたとする)
なサウンドも
底が抜けていたのではないかとか。

ボクは、この世界にいたので、
六本木や渋谷に、
実は地方は期待していなくて、
もっと、深い
がんばらなかったり、上昇しないほうが
結果、面白いことなのだと、分かっている。

それでも、そのようなことを体感していない
若い、優秀な人に来てもらうための
トリガーに過ぎなくて、
その後の引越しは、大磯でも、武蔵小山でも、
相模大野でも良いと思うのですけれどもね。

この近くには野毛や黄金町のような
戦後の日本が続いているような
人々の本当が見えるような現実的な地域や
東横線沿いの住宅地域や
いろいろ見るところはあります。

人は、いかに環境に(騙されて)洗脳されるか、
虚像とも見えるところで働くのは、
楽しみでもあります。

けれども、出勤簿を真面目に書くことだけじゃなくて、
みなとみらいで、自由に伸び伸びと作ることだけではなくて、
本当を、自分探しになるということを
考えられる人に来てもらいたい。
基本的に、自由、何でもあり。



そういえば、ベイエリアのgoogle本社、周辺の雰囲気にも似ていますね。
ですので、場所
というよりも、開発室、中身を、おもしろく、
楽しく作っていこうと設計をしています。

その前に、ボク個人のほうで、
その上の高層階のマンションを借りました。
自宅の仕事部屋の経験から
引き続いて、こちらも、家具を揃えつつあります。



ボクは、
プライウッドのセブンチェアをはじめ
いろいろ集めていまして
それは、座り心地、
メカや構造ではない、木の撓りが
どのくらい違うのか、比較してもらいたいという
機能的なことや、

チェアについて、
きちんと考える機会がないわけで、
様々な世の中のモノやブランドというのは、
表層的ではない、こだわりや信念が
長い間保持されると。

もちろん、目に見えるデザインというのもあるのでしょうけれども。

椅子の種類をバラバラにして、
座って比べられます。
ちゃんとボクが、ヤフオクや通販、店舗に行って
ヴィンテージな物を集めました。



つい買ってしまったのだけれども、
あ、IKEAですねって、ことで、安直でした。
これは、カバーをどうにかしようと。。。。

自作の真空管アンプとB&Wのスピーカーを設置する予定です。



機械式で、車が汚れずにすみます。

また、みなとみらいは、ランニングに最高で
1週6キロ。
ほぼ毎日ですが、ポートサイド地区、中央市場あたりから赤レンガ
山下公園まで走ります。
秋は、涼しくてよいですね。



そろそろ、ランチや夜のBARの運営も考えます。。。

拍手[0回]

30代は走りながら考えて、
40代は止まって考える

なんていう、
良くわからない言葉をよく覚えていて、
理解ができてきた、気がしている。

最近、手を動かす、行動としての仕事は、全くしていなくて
会社も不定期出社だけれども、
そのほうが、見えるところ、分かることが多くて
常に問題点がみつかる。

頭だけ、様々な事象や、最近はことばについて
じっくりひたすら考えている。
静かに、細かく、観察する。
感じたことを言語にして伝える。

その繰り返し。

さらに、
うまくいっているときは、不安になり
うまくいかないときは、前向きに
っていう、
ボクにとっては、唯一の良い習慣があり、
今は前者で、悶々と改革をしている。
経営上の数字には、直接表れなくて
問題の根っこは、隠れていているので、早いうちに対処する。

ゲームも、音楽の業界も、
成功パターンに安住するリスク
そして、比べる先がなかったり
周りが見えなくなるって、みんな一緒だと思う。
さらに、成長をするための、
血流となる、無駄のないお金は使わなくてはいけなくて
ボクは、ボクにはない強みを持った人とか、
志が高い人を募っている。

一緒に考える人を、クリエイティブチームを作りたい。
ボクは、細かい手は動かさないように努める。

具体的には、
ボクらがすすめてきた、”アプリ”も6年もたち、
最近は、ものすごく動きはやいし、
一山超えて、次の一山がどうやら見えていて
チャンスな時期。
ホームランを狙いたいのだけれども、、
このままだと、ヒットだな なんて。

どの業界も、成熟をすると、
クリエイティブに関しては
繊細になっていき、
独自性あるシステムやギミック、企画の斬新さがウリだった時期を過ぎて

そのユーザーが抱くイメージや、世界観、ブランドの方が
重要で、要するに、ユーザーが多ければ、
それまでの、固定概念にとどまらず、様々な展開ができる。
それが他との差異になる。

タレントであれば、
歌って踊れるって人がいたとして、
それがコアだとしても、
料理がうまくて、料理番組を持ってしまったり、
アウトドアが好きだったら、そういう要素も付く。
評価される。

アプリは、
プラットフォームビジネスってわけで、7-8年前の
モバゲやグリーも、
そもそも、SNSだったものが、いつの間に、ハブの機能となり、
ソシャゲに転換して、SNSは??・
なんて具合です。みんな、この時期を忘れているかと。
でも、今こそ、理念だったり、コアコンピタンスが必要だったな
なんて思われるのですが。

先のタレントさんならば、料理番組に集中したけれども、
そもそも、おいらは、何だったけなと。
だから、土台は失わずに、拡大が出来る。

なので、自分たちのサービスの
ファンでいてくれる、ユーザーを知り、もっともっと考えることで、
チャレンジができて、そのユーザーのごく一部でも
応援してくれる。と思う。

アライアンスを組むかもしれないし、
違うメディアとの連携や、
リアルな場所への送客かもしれないし、
ユーザー層が一緒の別の商品と連携とか。
全部うまくいかなくても、
もっともっと、できることはたくさんある。

この急激な速さなのに、
クリエイターが、ターゲット層と価値観や生活、
文化が離れると、作り手が固まると
感覚では太刀打ちできなくなり、
そりゃ、大変だ。
これは、音楽もコンシューマゲームも、ガラケーも
時代が変わっても常に起こる問題。
というわけで、焦り気味でもある。

アプリネーミングだって、UIもデザインも、コピーも
コンセプトも、ものすごい気を使うようになっていて
全て、じっくり静かに考えている。

リーンスタートアップも、もっともっと
俊敏に考える思考が深くなり
はやいし、考えないといけないし、
難度が高くなった。

そして、ボクは、不在時に作った
3つのアプリを、将来を考えて
キチンと考えるためにも、作り直しを命じた。
でも、絶対に役に立つはず。

とにかく、当たり前なことを疑ったり、
キチンと考えることだ。

例えば、例として些細なことですが、
システム系のボタンや、遷移で当たり前のように
「戻る」って単語があり、無意識に何も考えないで用いる。
けれども、
「戻る」ということは、戻る先の機能やシーンを
ユーザーの記憶にないと”どこに戻る”のか想起できない。

もし、そのメインシーンで、
長い時間滞在しているのであれば、
「戻る」先の、シーンを忘れて、連想できないので、
「戻る」よりも、
具体的な機能の名称
「写真」だったり、「タイトル」だったり
遷移先のシーン名称にした方が良い。

このように、
いままで、当たり前な、
考えていないことを考えないと、パターンが固まる。
さらに、その機能を常用で使ってもらえるのであれば、
アプリの特徴の造語を使うべきかもしれない。

とか。

例えば、
洋服がスケスケになる、ウハハなアプリだとするならば、
透け写=スケシャっていう、機能ボタンにするかもしれないし、
共有するのであれば、スケシェアとか(あまり冴えていないけれども)
このように、ユーザーに覚えてもらう、独自の用語を作り
愛着を増し、利用者がその用語を使うようになれば、
人に伝わる情報の深さ、印象が強まる。
SNSも、バイラルとか拡散とか、その時代は過ぎて
より深く、流動的だけれども、情報が長時間とどまってくれるのか
記憶に残って貰えるか、って言う時代だ。

あたらしく搭載した機能名称も
コンセプトに合わせる、単語にするのか
多くの人が知っている、単語にするのか
それとも、
先述のアプリを象徴する造語にして、アプリに対する愛着度を高めるのか
その単語は、省略出来るのか。音の響きは心地よいのか。
いろいろある。

例えば、映像をリアルタイムに公開する機能だとして
(あ、意味深)
「公開」「ライブ」「生中継」などあるわけですが、
はたして、今の時代の”ことば”なのか、とか
企画やコンセプトに合っているのか。
とか、企画の理念に即した”ことば”や”デザイン”なのか
キチンと考える。
もう、過去に、様々なアプリで実装している機能であれば、
私たちのアプリでは、
どのような思いで、どういった使い方をして、展開を想定してみる。
そうすると、ライブって、空間が広すぎる、
かもしれないし、
かなり使い古された単語かもしれないし、

ライブをイメージしてしまうことで、
何か利用者は、構えたり、準備をしたり、演じないといけないのかなとか
悶々と考えてみる。
ほかのアプリにもある、機能的な見方だけではなくて、
世界観をきちんと継承するとか。
そのための、デザインや、フォント、統一感とか。
一つ一つ考えようと。
考えないで、偶然で当たる時代は終わった。

というわけで、アプリも
CMの世界で言う、
コピーライターの仕事も
フォトグラファーも、プランナーも、マーケッターも
様々なブレーンが必要なわけで、

思いつきや、勢いで作ったら、ヒットをした!
なんていう、昔のPONやインベーダーゲーム時期のような
一人で作りました的な時期は、良かったなって過去形なわけで、
商業作品として、ものすごいクリエイティブな
レベルの高い時代の突入です。

お金をいただく方法も、
短期的な視点でなく、長期的に見えれば、永続的にしたければ
とにかく、便利でユーザビリティを一番にして、
利用者のアクティブや信頼度を上げて、
きちんと運営ができる、売上の別の仕掛けが必要だったり、

ボクはそこに興味があって、
多くの人は、無料で、すべての機能がストレスなく使えて、
けれども、どうしても必要とするごく僅かな人から、
何かしらで課金ができれば
そのための全体の運営や開発コスト、ランニングも
低ければ、やっていけるし
まずは収益よりも
アクティブが大事なことで。

また、アプリは、必要だから、おもしろいから使っているけれども、
なんて意地悪で、邪魔で面倒にしているのだ
とか、
それによって、(仕方なく)毎日使っているのに、
その会社は嫌いとかね。

また、会社も、
ただで使えるのだから、アドは入れさせてよとか、
そういう交換時代も終わりなきもする。
もっと、アドだって、納得のいく良い手法は探せると思うんですよね。

過去の成功は未来の失敗でもあり、
あたりまえなことをすべて疑い、
考えて。

ボクは、過去の異業種で
経験上わかっているけれども
本当に廃れるのも早いし、プレイヤーの入れ替えが起きる。
そうなる前に、
わかりやすいように、伝える苦労はしてはいます。

そういう時期かなと。

拍手[7回]

夏休みをいただいています。

とはいえ、5月から働き方を変えたので、
考えることに集中しておりまして
数か月のロングバケーションでもあります。

今、Wantedlyで求人活動をしているのですが、
僕らの狙い通り、好きなモノを作りたい
”想い”のあるサービスを作りたい方々に
応募いただいています。

評判のようで、エントリーが多くて良かったなと思っています。
ありがとうございます。

ボクの会社、数字上では好調だけれども、今危機感を持っていて
次の時代に向けて、一気に変えてしまうぐらい、
体制も、開発やサービスの計画を練っています。

今、遠い街にいまして、
ファミレスやら、マクドナルドの深夜
ボーリング場やゲームセンター
カラオケボックスを見ています。

ソーシャルの利用者を考えることが面白くて、
新しいアプリを作りたいところで
地方の若い方の、コミュニティへの帰属や参加について
悶々と見ています。

企業なので、儲けることは、当たり前で
そうじゃなきゃ、僕らはご飯を食べれないわけだけれども、
沢山の人に使ってもらう、
成功するサービスというのは、
とても、人間臭くて、作り手の思いや気持ちだけではだめで、
多くの人が言葉にできない問題や
潜在的な気持ち、
ストレスやら、とても人間的なことに
向けたものにしなくてはいけなくて、

かつてゲームのように、作り手志向でもなく
参加ユーザーも含めた、コンテンツ作りともいえて、
結果、喜ばれたりはしないのだけれども
ものすごい多くの人がつながり、影響を与えられる。

これがきっかけに、結婚したり、恋愛になれば、
ボクは、本当にうれしい。
だから、作り続ける。

ボクの10代を考えれば、
音楽でも、趣味も、社交的でなくても
なんとなく遊ぶもの、逃げる場所があり、
ネットもない時代でしたので、
シンセやシーケンサーで一人で、打ち込んで自分で遊んでいたわけです。

地方都市において、
オタクやマニアな趣味、興味
サブカルといわれていた分野まで、メインカルチャーになってしまうと
さらに、その世界でコミュニケーション能力まで求められると、
ガス抜きというのか
逃げる場所はどこにあるのだろう。

今、ボクがこの場所で高校生だったら困るなって思っています。
他者と自分によって、
その距離やリアルをはかる、けれども、村が狭かったら
そりゃ面倒だ。
ボーリング場や、カラオケボックス、ゲームショップ、ゲームセンター、
イオンなど見てみた。
ボクだったら、村から出たくなるなっと。

首都圏であれば、いろいろあるけれども、
地方で、小さなリアルコミュニティだとすると、
帰属できないボクは、辛そうだ。

好きなこと、楽しいこと。
社交的なコミュニティもよいのだけれども、
無理なく、本当の自分、素直な自分を表現できる場所

なるほど、そのなかの一つは「斉藤さん」かもしれないわけで、
匿名性は、逆にリアルとの自己同一性を維持できる。
正直でよいのだ。

だから、運営や管理もしつつ、適度に調整をしている。
いまだに、というか、以前にも増して
利用者が増え続けているわけですが、
この青年期の気持ちというのは、
ボクが持ち続けないといけないことなのだと思った。

そして、今、
地方都市のマクドナルドでボクはこのブログを書いていて
ちょうど後ろの
マイルドヤンキーとも、ゲームファンとでも、
何も、属さないような、若い人たちの会話を聞いてみて
深夜に、何かを期待して、話し合っている
この感じ。

次のコミュニティへの可能性をとても感じていて
企画をまとめている。

コミュニティというのは、システムで考えがちだけれども、
人のつながりという大前提があり、
もっともっと、コンセプトを明確にするべきだと思う。
斉藤さんの場合は、本当に偶然だったわけだけれども、

何か、マストでもなく、ゆるかったり、
頑張らなくてよいとか。
無理に楽しく無くても良くて、
何も発言しなくても良くて、
自分を作らなくても、悶々と。

そのようなわけで、
ボクは、自分自身の興味もあり、
そして、これまでの経験から、正直な自分を考えることで
面白いゲームや、アプリ、サービスが生まれることを知っている。

それぞれの、働くスタイルは
いろいろな成功パターンがあると思いますが、
少なくとも、ボクは収益化や売り上げを前提に
事業を考えると、うまくいかなくて
それは、利用者に向き合って、何かを考えることであって
頻繁ではないけれども、
定期的に、ヒット作が生まれて
ご飯が食べれている。
もちろん、もっとおいしいごはんを食べるために、
成長する計画を立てて、計量的に10倍とか
年収もいくらとか、目標は立てる。

でも、多分、ボクのことを知っている人は
言わなくてもわかるよってことだと思うが、

次のモノをひたすら考えていて、
そんな僕のことを知らずに、
収益化とか、事業拡大のためとか
いきなり連絡が来たりして、ちょっと嫌だなと思う。

10年後、20年後、もしくは50年後を考えれば、
そんな目先のことではないのです。

拍手[2回]

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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