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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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非情で残念なことと、とても前向きな
報告があります。
 
長い間の問題
そして、社内外の方々も
私たちの会社が奇妙な空気感で
理解が苦しかったこと
沢山のことを一気に解決いたしました。
 
会社内、
世の中では少数派な人が多数派となっており、
常識的な振る舞いができない、
世の中のルール=「暗黙の了解」がわからない者が
大量に辞めることとなります。
 
虚偽報告、命令違反、職務怠慢、引き抜き、あっせん行為を
集団で行ったこと
社内のシステム、複数人から出てきてしまいました。
 
個人的に、
この不条理を納得できることとして
通常(多数派としましょう)であれば
個人的なやりとりでおこなうものです。
当たり前なことですが
 
しかし、あまりにも分かりやすく、
今回のように、露骨で
会社のシステムで、集団で伝達して
歯止めがきかない、
もしくは、誰かがよくないと指摘できない状況
世の中のルール=「暗黙の了解」が理解できない。
本来社会に適合することが難しい者が
会社内で多数派となっていたことです。
この少数派が、理想的な少数派を採用する連鎖。
 
そして、無意識に多数派になれない劣等感を
仕事に適合できない問題を
納得させるために、遊びで楽しい、緩い癒し。
上昇志向を排除し、適合できない無力さを
遊び心に転換していると見抜きました。
 
昨今の動き、
表情やアイコンタクト、行動で
この状況を読みぬいていて、むしろ、
外から自分が
どのようにみられていることを、気づいていないのでした。
 
もちろん医師ではないので、単に察することですが
その気質の者が集団となり、
無意識で結託してしまったことと
逆に会社内では多数派になってしまったために
おかしなことが、普通=
常識的な振る舞いができない
沢山発生してしまったと見ています。
 
ホームページや対外面など
奇抜でクレイジーを表面的にとらえて、
あまりにもこの気質な者が集まる
応募する現象を発見しながら
僕の知人や仲間、医師、カウンセラー、外部の方に
社食ランチや様々なイベントに入ってもらい、
奇妙な人が集まる、ズレを認識し、対策を考えてくださいました。
自分を応援してくれて、勇気づけてくれたり
とても恵まれているなと、感謝しております。
株主の方も、最後、自分一人になっても
大鉈を振るう という、助言もいただきました。
今回、かなりその状況です。
 
現状ですが、
信じて頑張っているみんなのおかげで業績は上がり
一方で、適合できない
従来型な社員は減っているものの、

昨今、事業の、売り上げ、利用者など
急進的に伸びています。
一旦、南雲の個人会社としても、
人員的には縮小をして
全てをやり直すぐらいのつもりでいます。
そして、入社、採用の際には
テストを実施して、多数派であるか、もしくは
医師の診断を受けていること、
知能も含めて、入社テストを実施します。
頑張っているみんなには、待遇面の見直しを検討します。
拡大に向けて、頑張って学んできた人
上昇志向のある人
最新の経営を深めたい、ビジネスパーソン
会社を解体する覚悟で
そして、社内に見せる、本当の自分=社長をそのまま出します。
そこには、対外面のメディアで見える
草食な自分はいません。

また、
テレビ取材も含めて、自分の問題については
ADDとして、もちろん、ASDと言われる傾向があるものの
数年前よりもいろいろわかってきており、
最近の診察は、以前と異なっていることがわかりました。
周囲の方がお気づきの通り、
社長としてよくある、性格でもあり
また、逆に
空気を読みすぎる性格でもあります。
 
この親から頂いた、
自分の知能や能力は、世の中のために
無駄にしないように頑張ります。
 
自分は、
応援をしてくれた、社員
社内外の友人、関係者の皆さんに
心からのお礼と感謝の気持ちを持つこと。
そして、それを意識せずに、革新的に進める
自身の特性を優先させる
と考えています。
 
また、厳しい処分をおこない、
離れる者たちについて、個人的には
自分から見える世界、意識は、ほかの人と異なる。
一見、多数派を「イエスマン」に見えるのは
言語外の
高度なやり取り(駆け引きとでもいう)を行っており
君たちには
それが見えていないと伝えておきます。
また、それができないと、
集団に対して、何かおかしいとみられることも意識してください。
 
アスペルガーと暗黙の了解
同じ社会への不適合者にならないために
自尊心を捨てて、
自分は世の中への解釈が多数派と異なっている
性格の問題でなく、周囲に迷惑をかけている
自己中心的な志向が強すぎる
ゆがみを認知してください。
 

以上です。

拍手[13回]

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人というのは、
自分本位、自己中心志向なひとと
相手を想いやって、尊重して自分の意思との調整をするひと

2通りあって、ボクは本来は前者なのだけれども
ここ数年、調和だとか社員のためだとか、
過度に考えすぎていたなって、気づきました。
そして、僕自身も、本当じゃないというのか
気持ちに嘘ついているなって、わかってきました。

幸い、かじ取りを急激に行いまして
業績はぐんと伸びているわけですが、
もちろん、頑張っているみんなのおかげではあるのですが、

個が強すぎて、そもそも
会社は自己実現の手段になりすぎていて
本当は、こんな仕事したくなかったのに
なぜさせるんだ
とか、
自分の問題を、組織に出してしまい
会社や同僚、上司から
ケアされることが当たり前になっていたり
だらだら、愚だ愚だ、午後に毎日話していて、
周りから、おかしいって見られているのに、
残業申請を出すみたいな。
なんだろな、って思っています。

ランチなど手厚い、数々の福利厚生があるわけで
仕事以外のニタニタ、ゆるゆるな写真だけが
SNSにアップされ
そして、ゆるい仕事をしたい志な者が入りやすい
ぬるま湯環境となり

上昇志向、才能のある人には、難しい雰囲気を出していました。

会社も事業も
順調に進むフェーズ、その裏には
資金ショートしそうな時期、数々の困難を乗り越えて
覚悟と根性がついて、生き延びてきます。
そして、ものすごい才能があるか
人並み以上に、学び、苦労してキャリアをつけて
楽だけでうまくいくはずがありません。

そんな、生臭い、汗臭い苦労も努力も
なんか、癒しですとか、おいしいですとか、
そんなアホくさい、ぬるさを出していて
このノリを排除していきます。

緩くて楽しい っていう、あたかも個性的な表現は
自分の自信のなさ
弱さを、開き直って、最も言い訳で見せるだけであって。
今、成長のフェーズに入り
今までのユードーらしさが、無くて、ギスギスしてますね
って言われることを目指します。
だって、本当はそうなんだもんね。
そして、ボクの期待に応えようと
頑張っている人だけに、
海外研修やら、ユードーにしかできないことを
提供する。


本当のことを言っちゃえばいいんだよ。
その通りです。
恥ずかしいことでも、問題なことも
今、やんなきゃいけないので、改革をして
上昇するもの、強い者、才能のあるもの、スキのないものに
来てもらい、
一緒に成長をしていきたいです。

拍手[4回]

最近、鉄道オタクとか、車オタクとか、
ボクも、自分のことを言いますけれども、
とても夢中になって、深めてしまうことですよね。

「オタク」がとてもカジュアルになりすぎていて
だれでも、自分を象徴する、
代名詞のような、誰でも使える
プロフィールになっているかなと思います。

リアル充実(リ充)⇔オタク(ネクラ)
の対比ではなくて、
オタク=コミュニケーション能力の高い
好きなこと、夢中なことが多くて、
人に伝えよう、情報交換が楽しい
ってことになっています。

でも、最近気になるのは、
・オタクにも属せない人 でして
何か、自分を喪失しているというのか、
普通の人(と思っている)
自分が怖い時代ではないかと考えています。
自分に、何か特殊な個性であったり、
何か、特技がないといけないような。

特技がなくても、コミュニケーション能力が高ければ
「特に好きなモノも、勉強も嫌いだけれども
酒飲むのが好きでね」なんて、話が盛り上がれる
コミュニケーションに比重を置けるならば
よいのですが、

何も夢中になるわけでもなく、
なんとなく、好きだったから、
さほど夢中になるわけでなく
なんとなく、自分探しをするような。

もし、コミュニケーションスキルが高くて、
他者と自分の関係、距離がきちんとつかめていれば
相手からの承認によって、自分が確立できる。
それができれば、
猛烈な個性がなくても、相手との調和で
おたがい、駆け引きやキャッチボールで
自分が確立できる。

また、自分に技術、個性、能力があれば
情報の等価交換ができなくても、
他者が自分にひきつけられる。
だから、コミュニケーションスキルが低くても
自己の存在が確立できる。

じゃあ、
何も「自分に無い」としたらどうするのだろうって。
自分に無くて、他者との関係性も難しければ。

そうすると、自分に何かしら個性を
つけたくなるのではないかと。
多数派にとっては、困ったことでも。
メンヘルです、とか、リストカッターですとか。
人を困らせる、ってことよりも、
そのことで、無個性な自分を確立できる。

こんな(ボクでも)、
何か、あまり人に言うべきではない、
その人の秘密をわりと普通に話してもらうことがあって
”そのこと”ではなくて、”そのことを他者伝えられる”
時代になっているなって驚くことがあるのですが、
え、そんなことを人に言ってよいのか?
って驚くこともある。
(さらに、ボクも、若い時の、最悪でひどい話をすると、周囲はドン引きするのですが)

だから、ちょっと、一般的には
言えないことを普通に
自分について、話す人というのは、
その特殊性、病的なこと、風変わりなことを伝えないと
相手に理解や、存在を認められる
自分に自信がないのかなと、考えたりします。

ということで、
オタクがリア中であったり、コミュニケーション力が高いことになると
それから外れた人、というのは、
かなり難しくて、不適合になってしまうのではと。

自分の言動が相手にどうみられるのか。
とか。。。想像、わからない人。

この場合、挫折をして、苦しみ
嫌でも、村社会なり、他者の存在を認めて、
他者から見た自分を確立するトレーニングをしなくてはいけない。

自分の言動が相手にどうみられるのか。
ということそのものをわからない自分を自覚する。
それでも良いと思う。
なんとなく、取り留めもなく。

拍手[5回]

2か月に1回、沖縄に行きまして
行動はのんびりですが、
慌ただしく、いちおう仕事の連絡をしながら、
いろいろと、ちゃんとやっております。

今回、2-3日だったので、石垣島の藤後さんのB&Bいけないなって思ったら。
(藤後さんは、なんと石垣島でご活動です! 
ぜひみなさん遊びに行きましょう!)
るらりや

なんと、偶然お近く。
那覇でお会いしました。
連絡をもらって、走りに走って
国際通りの喜名昌吉さんのバーチャクラに行きました。


ちょっと飲んでます。。。


今回は、なんとなく、自転車を持っていきまして
沖縄を走ってみました。
自動車だとわからない、街並みがわかりますね。

引き続き、やんばる先生に診ていただいてまして、
ボクのアイデアや、企画、偶然だと思っていたこと。
ユングのシンクロニシティ(共時性)、
最近だと、セレンディピティってことだそうです。
どうも、その情報なのか、入ってくる情報のセンスが
物凄く(以上に)高くて、無駄な情報まで
入ってしまう。それは疲れるだろうなと。

何か、面白いって、根拠なしに夢中にやってみる。
結果、違うことに活用できたり、意外な発見につながる。

ボクは、そんな人生です。
別なことを目指しているから、
そもそも、多くの人がほしいものは手にしていたり、
意外と、見逃していることも多い。

ボクは、言語と動作のそれぞれの項目が、
それぞれバラつきが多く、
面倒なことに、理屈っぽいことと、感性がバトルをしているし
ノイズも含めて、情報やら空気の入り方が異常に高く、
なので、疲れるわけですが

いろいろなことを結びつけたり、発想であったり
前向きにポジティブに進めば、
良いことの好転でも
何か、ピンチの時の火事場のアイデアも
こいつなのだなと、思います。

悪いこと、不運なことも、影響しやすい。
けれども、それも受けることで、
何かをきっかけに反転するでしょう。

というわけで、
自分の理屈っぽいところ
言語を抑えて、
動作=直感を鍛えて。

そして、アイデアと企画、そして、人と人を結びつけて
楽しい、面白い、エキサイトさせようと。
痛みを伴うけれどもね。

そんなところです。

拍手[1回]

作品でも、アプリ作りでも
完成するまで、作業をはじめる前には
目に見えない状態です。
あたりまえです。

でも、まだ、見えない時に、頭の中で見えていることは
音楽の作曲で得た技術なのだ、って気がつきました。

完成したときの、仕様や流れなど
頭の中で表現再生出来る状態で、設計をすると、迷わず綺麗にいきます。
各遷移や画面など、イメージが湧かないときは
コンディションが低いなと思います。
最近、この頭の中で、モノを作るコトというのは
多くの人にとって難しいことなのかなと
気がついてきました。

音楽は作品としても、見ることは出来ません。
けれども、その空気から伝わる音は
C DE などの旋律でも、
和音であれば、
I →V6→I→V だとか、C→G→C→G
など楽譜上は書けるけれども、
ちょっとトレーニングが必要です。

でも、視覚化出来たのは
音楽ゲームなのかもしれません。
その記号は過去からくるけれども、
タイミングで鳴るというのは、今起きていることで
その瞬間に、視覚化したことが、
音がなくことにより、過去の必要のないものになります。

さらに、ドとかレとかの音程だけではなく、
音色や、歌手の声とか、息を吸う音
キックの音は、808の音かもしれないし、
ギターのアンプは○×とか。
スタジオやライブハウスの反響など
様々な音を構成する要素があります。

残念ながら、
この要素を表出する方法はなくて
あいまいです。
ですので、同じ楽譜でも、歌っている人、アレンジ、音色によって
雰囲気が変わります。
自作で有名曲をコピーしても、
機能的なことはコピー出来ても、全体の雰囲気はまるで違います。

ですので、音というのは、目に見えないけれども
空気を伝わる部品の集まりで
作曲家や編曲家は、頭の中でグルグル創造してつくったり、
音を聴きながら、指を動かして
確認しながら作ります。

ボクは、かつて先輩に言われたことを覚えていて
何か機材や音を聞きながら作ることではなく
つまり、音色に依存して、インスピレーションを高める
のではなくて、
頭の中で再生をして、たくさんの中から
これしかない
と言うメロディを考えよと。

このことは重要で、
今の機材は、音楽が分からなくても
操作をしながら、様々な音色を出して
確かめながら、創造しなくても
カタチにすることが出来るし
トラック的(テクノなど)に雰囲気が出来てきます。

R&BやHiphopだって
サウンドをループで再生しながら
ボーカルが、メロディを即興でのせてつくる
作曲手法が多いのです。

この2パターンは、もちろんヒット曲もあるし
例えば、サカナクションのMUSICだって
ダフトパンクの ONE MORE TIMEだってあります。

おそらく、その瞬間にマッチした
構造的な美しさが全面に出ているのだと思います。
けれども、たくさんのアイデアから、絞りに絞った
世紀に残る一つのメロディ、は難しいようにも感じます。

ボクが音楽でも、ゲームもアプリでも
しっくり来た経験は
頭の中で、グルグル考えて細かくイメージが出来る
全て完成してから、目に見えるようにしています。
要件定義かもしれませんし、
リサーチの結果から、プロダクトを作る際に
細かい細部まで、創造する。

この力というのは、作曲の技術に近いなと思いました。

また、ここからも面白くて、
ボクが何か猛烈に考えていると
吃音になるというのは、
話すことは単音なので、頭の中の考えはパラレルで
言葉はシリアル。
話す際にはオーバーフローになっている
ってことと、
頭のなかの瞬間的な情報が消える前に、
全てを
手で書き写すこと、楽譜であったり、仕様書だったり。

なので、せっかちだったり、瞬間の思考の暴発性が高いのかもしれない。
などと考えたりします。

ということで、頭で考えたり、創造する力というのは、
トレーニングでもあり、学業だけではない、
自分の脳の働き特性を分析をしたり、
情報の出し入れを活性化させたり、そのつなぎ合わせ
知能の高さを上げる秘訣こそ
心の豊かさや、広がりを持たせる、
情操教育なのかもしれないと。

もうちょっと考えてみますけど。

拍手[3回]

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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