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毎日の思いつき。毎日の発見。毎日の反省。
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41歳。
ことしはロングバケーションというか、
CoolDownのために
5月から、半年、会社の仕事をしませんでした。

とにかく、ボクだけでも、楽しい、いろいろなコトを、たくさん!

(夏)に、第一弾として先行して近所の高層マンションの
お部屋を借りて、籠る



頑張ってそろえた。

サンルーフから見える星を見て、道の駅で車中泊。

 


10代のように、旅先でカップラーメンを食べてみる。


 


 

全国どこでもはしる。
 

家とは、世界中どこにいてもライブカメラで接続して。
 


石巻イトナブのみなさんとご一緒となった。


オフィスは引越し



そして、みなとみらいに。




いつものごとく、取り留めないけれども、なんとなく。

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ここのところ、サンフランシスコにいったり、
東北に続き、、、

沖縄の定期検診というべき
やんばる先生の病院へ向かいました。

毎回、夜遅く(朝方)までお話をして
過集中で時間を忘れるのですが、

多くの人には当然で、
僕にとっては初めての気づきが毎回あり
面白いこと、興味津々で

連日その話ばかりになっています。
周囲の人やFacebookでも
煩いな、なんて思われているかもしれない。

飽きれば、それまでなので
徹底的に、考えたり、学んでいる。
最近、関心は自分の外側に向いて来ている。

自分の長所として考えているのですが、
気づいていなかったこと、
優先度が低かったことへの気づきが
いまさらながら、すごいこと、
ショックだなとも思っている。

目くばせや、話し方
伝え方は、言葉だけではなく、声、トーン、表情
五感で伝わる。

飛行機で
修学旅行生と、ツアーのおばちゃん一行。
実際は、おばちゃんの方が煩いわけですが、
キャビンアテンダントの方々の表情や目線を気にしてみた。

狭い空間で、
動物的にも人のパーソナルスペースが
スレスレな状態では、機嫌が悪くなるのだろう。
言葉の使い方も、そして目線や
少しでも和やかな雰囲気にするために

いつも以上に、キャビンアテンドさんは
ピリピリとした行動と、反して表情は和やか。

対応も、目線や顔の角度、姿勢など徹底していることに
初めて気が付いた。
なるほど、
ボクは、いただいたコーヒーのごみやら
周りの人への配膳のサポートに気を回してみると
目と表情に深さがある気がした。
きちんと、伝わるのだなと。
(とはいえ、多数派ではないので、そこに
CAさんを口説こうとか、損得勘定はまるでないけれどもね。)

この、
僕の気づいた感覚そのままで、飲食店に行ってみる。
挨拶をして、
ちょっと、和やかなお話をしてみる。
お店の人は、数か月前に行ったことを覚えているそうだ。
そして、サービスでメニューにないものを用意していただく。
食べた後には、感想を伝える。
(お客さんの意見や感想がとても気になるはずだ)
ご飯を食べて、食器をきちんと重ねる、挨拶をして出てきた。

当たり前なことを!

なんて、普通の人は
思われるかもしれないけれども、
ボクも、親のしつけもあり、
表層的には、態度は悪くない(と思う)し、ちゃんとしてきた(つもり)
でも、相手の立場で考えることは、まるでできなかった。

いつも、コンピューターに向かい
効率的にだとか、売上げだとか、面白いアイデアを考える。
この部分に特化していて、
ボクは、当たり前なことですけれども、自分の中に
確たる基準があって、それを中心にしている(気がする)

そうじゃない世界の人は、
ボクと深さは一緒だけれども
人がもっと存在していて、人との関係性を重視している。
人より、上や下のステータスも。
自分が一般的なのか、周りを気にしているだろう。

もちろん、ボクは、
ITやコンピュータ、ゲーム系の人種な気配は感じられるだろうし
何か、コミュニケーションが足りなくても、
そういった種族に見えるのでしょうけれども
一般的には、
うーん、でも、なにか足りないと思われるのかもしれない。

ということで、
人を良く見る
感覚を維持したまま、沖縄の街をあるくと
子供のころを思い出した。

「話すときは、相手の顔を見なさい。」
ボクは、人の顔を見ないで話していることを気づかなかった。

そこで、幼稚園の時に、言われた通りに
先生や友達の顔をきちんと見たら
かなり、注意された。
親や先生の言うとおりに、相手の顔を凝視したのだと思う。

この経験は意味があって、
生まれた時から、人の表情に意識がなかった
つまり、アイコンタクトをすることができなくて
自分以外が、自分のように利己的でも
感情的でも、世界を持っていることを知らなかったのだと思う。

自閉的で、
相手と自分の関係や距離を
はかっていなかったと思っている。

というわけで、最近どうも、
ボクは、空気の存在は理解して、実は敏感なのだけれども、
その空気の意味が理解できていないのでは
という先生の指摘に、なるほどと。

だから、
相手の配慮や要望に、
過剰に、遠慮することがあるのだけれども
そもそも、その意図を
理解できていないから、なんとなく全体性で遠慮しておこう。
ってことがある。

だから、ちょっとズレているけれども
南雲くんらしい なんて言われるのは、このせいかもしれない。



今、考えていて、
大きなテーマなのですが、
僕のような気質の人の場合、
長い時間、長い日数一人でも寂しくない。
だから、一層、周囲の人々や、共同体、社会の存在が無いと
現実感に乏しくなることが多い。

要するに、
朝、ご飯ができた、と起こされて
現実の空間で、家族がいて、友達がいて
面倒なけんかやトラブルが発生したり
酒飲んで騒いだり、遊んだり。
悪いこと、ずるをしたり。

そういった、生活や、
リアルな行動でいっぱいになっていると
今を自覚できないからこそ、
周囲の関係性によって、自分が存在することを確立できる。

逆に、もし
現実での人々との関係性が希薄になってしまうと。
自分を中心とした思考がかなり支配をするので、

社会そのものの存在を疑ったりして
哲学的な思考。
存在とか、時間とか、物質とか
深くロジカルになると、脱社会的な発想になり、
生きることそのものの価値が何なのか
分からないから、調べたくなったり、疑ったり、
普通には、スリリングなことでも、確かめたくなる。

イスラム国に若者が関心を持つってことも、、

バックパッカーで学生時代に旅をする
ことと類似しているけれども、
通常は、
世界中の人々との関係性を広げたいという意味がある。(と思う)


けれども、渡航経験が少ない者が、
イスラム国に行くということは、
そもそも
日本や、多くの多数派的な国家や、社会、
常識そのものを疑い
現実感を確立するためじゃないかなと
若者の気持ちにもなってみる。

だから、
現実の人とのつながり、が大切
という短絡的なことではないのだけれども、

周囲の共同体での支えが無いと
危ないなと考えている。

言葉が無くても
人のつながりや、非言語的なコミュニケーションが
希薄になると、ボクみたいな人は楽なのだけれども
そして、1日8時間も机に向かい、PCに向き合っているのが普通だけれども
日常の行為に現実感が乏しくなる。

だから、一人にならないためにも、
集中できないとか、息抜きということは必要で、
仕事でも、お話をしたり
フラフラして、給湯室で噂話をするような
IPメッセンジャーで、私用なやり取りをすること
ズルしたり、いい加減だったり。
極々普通なことも、とても意味があるのだな

と、いつものように、取り留めないのですが、
考えてみた。

拍手[4回]

アプリ「斉藤さん」に集中するために
車でずっと、ずっと、会話や中継を聴きながら
茨城、宮城、山形、新潟と移動しました。

人の会話やコミュニケーションは面白くて
また、主婦の方や、年配の方などが参加して
ボクたちが作ったサービスで
人間関係ができていくこと。

そして、使っている人たちは、
ボクらのことを知らないし、興味もないだろうし

そして、知らない、アプリやソーシャルなんて
どうでもいいのかもしれない。

けれども、自由だからこそ、
荒れていたり
おかしい雰囲気になるのかな?
って思っていたことが、
いろいろ、コミュニティを形成することによって、
前向きな空気になる
そのようなコトも分かってきました。

地方の国道や、山道、峠を越えて運転していると
その街の風景があり、寂しくもあり
また、登下校の時間から、暗くなると
地元の軽自動車があふれて、帰宅していて、
夜も早い。

情景というのでしょうか。
感じる何かがありました。
バス停があると、ぼーっと僕も待ってみたりして。

台風の前に、石巻や酒田市に行き
若い人たちと一緒にお酒を飲んだり
街を歩いてみて

かつてのマンガやゲームのように
アプリは、新しい文化を創っていき
良くない見方もあるし
それによって、トラブルもある。

けれども、人々のつながりという意味では
新しい、昭和の青年団のような
機能なのだな、なんて思いました。

ボクは、温くて、合理的でもない
そして、喧嘩も、勇気も、いろいろあるコミュニティを作っていくのに
多数派的な思考もなく、
そして、作るボクらも、なにか計算的で
失敗出来ないような、
面白いことを、何故かと考えてしまうような
最大の欠点だと考えていて

分からないなりに、しばらく考え、悩んだ。

多くの人は、状態も、悪くないのに
何故なのか?

って思うのかもしれないけれども、
ある意味、ボクに支配をされているのか
キチンと仕事をしないといけないような、
出勤簿やシステムを守ることを重視し
会話も、
温度感の共有も無いような、組織というのは
自分の反映でもあり、
客観的に考えてみた。

かなり、ボクが考えるには効率が悪いのですが、
ボクという性格気質を中心に集まる人、傾向を分析をして
三つのグループに分けてみた。

・システムや管理をするグループ
・一つのことを深く研究するグループ
・コミュニケーション、人とのつながりを大切にするグループ

最後のグループが一番足りなくて
人とのつながりを大切にするからこそ、上下の関係もあり
また、面倒でもあり、
ある意味、技術はないけれども、空気や雰囲気を大切にする。

ボクは、これまで、
このグループというのが認識していなくて
多分、大切じゃないから意識をしていなかった。

今まで、順調にうまく行っていたことも
あるし、ボクらは変わる必要は無い
けれども、これから、いろいろな価値観の人を受け入れ
影響をし合って活動出来ること
これだと。
わりと、技術的な単一な傾向の人が集まっていたのだ。

必要なことは、
技術でもアイデアだけでもなく、
様々な人、英知の集合。
この部分なのだ。
って気がついた。本当に最近。

ボクは、ここ1年もの、なんだか凄い本を読み、
根拠をさがし、
主治医の先生にも意見を聞き、
相当遠回りしたけれども
確信が持てた気もする。

重要なのは
自分に無い要素を頑張って伸ばすことでもなく
人が集まって、夫々補完をし合うことなのだと。

本当は、考えることでもなく
理屈でもなく、
動物的なことなのかもしれないけれども。

(抜けていたので再アップ)

拍手[1回]

最近は、興味深いことを
調査をしたり籠って研究する機会が多くて
11月末まで、会社にいかず
みなとみらいやサンフランシスコで活動しようと
予定しています。

ボクには、過集中の特技とも、
言い換えれば、病気でもあり
考えてみた。
多分、ITやゲームの分野の人には多いと思う。
そして、程よく制御出来ない場合は、
過集中でどういった問題があり、良いことがあるのか。
若いうちにつきあい方を考えた方が良い。

夕方になると、電池切れになり、
意識が遠くなり、フラフラになってしまう。
解決のために、ランニングやら減量など鍛えたのですが、
結局、この過集中で
脳の燃料切れが原因で、
さらに、面倒なのは、この対策のための
ランニングや減量、筋トレまでも
過集中になってしまっているという、
スパイラル。
でも、キチンと活用をすることも考えている。

過集中があると言うことに気がついたのは
30歳過ぎてから。
以前は、
「多くの人は、
誰でも好きなことがあれば集中するでしょう。」
と言う中途半端なことを真に受けていた。
対策が遅れた原因。

過集中を利用すれば、
テストや受験の一夜漬けでも
速読も、もの凄い情報の処理も
土壇場のピンチでも、
うまく抜けられるコトが多いのですが、

エネルギー消費が早く、
その後の虚脱が酷くなるので、
先生からは、
サブエンジンを動かす感覚で
と言われている。
多分、起きている間
常に、脳のタスクを100%にしないときがすまなくて、
その調整が出来ず、
常に、何かを考えていないと、生きていけないのだと。

面倒なのは、この歳になって、
ソーシャルの仕事をやり始めたこともあり、
人に興味がある。
(だから、慣れない人に合わないようにしている。)

例えば、社外ではじめての人のMTGの場合、
表情や
このトーン、会話の流れを異常に注意をする、
次に、どういう発言をするか
先読みする。
この発言で、嫌な雰囲気になったなとか、
眉毛があがって、トーンの傾向をみて
この場の空気に対して、違和を覚えているな。
内向形性格気質だけれども、攻撃的で
コンプレックスは、これで、とか。
でも、この人の思考の範囲は、ココまでだから
1歩先の質問をすると、本音が出ないから
あえてズレた、3歩先の質問をしてから
1歩先に戻してみよう
って、考えつつ、そう考えていないフリをしよう
とか。多分、人は理屈じゃないって、
お前、上から目線なんだって怒られると思う。

気が合う人、いつものメンバーは、そんなことを考えない。
だから、ボクがアイデアやマシンガンになっていたら
とても良くて、
逆に、社長っぽく?紳士的に静かだと、
頭は、もの凄い過集中なことになっていると思う。

多くの人が
直感でハードウェア処理を
ボクは、ソフトでやっているから、本来の目的以外の
CPU負荷が高い。
なので、ボクが黙って聞いているときは、
かなり危ないのかもしれない。

ボクの歴史ですが、
事故が多くて、記憶が正しければ
幼稚園に入る前
3歳ぐらい
電池が消耗して、おもちゃの電話が
動かなくなると、応答がなくなり、
壊れたと思って、すべて分解をしてしまった記憶がある。

その過程で、ベルを鳴らすメカや
プッシュボタン(当時はプッシュホンが珍しかった)の
バネの仕組みに納得して、
結局、全てが興味となり、全て壊して(バラす)しまう。
もの凄い怒られたので、覚えている。

幼稚園の年少の頃、
コンセントにプラグを入れると、
電気製品が動くことが興味深くて
指を入れると、ボクも何かなると考えた。
コンセントには、指が入らないので
針金を入れてみた。
感電すると、指が離れにくいことが分かった。
さらに、不幸だったのは、
プラグを差すと火花が飛ぶので
導通させようと考えて、用意周到に、
様々に曲げたカタチの針金があって
最初にU字の針金を両側のプラグに入れた。
ブレーカーが作動する前に、
ショートして、熱を持って
大やけどをした。

空気で息をすることが分かったのだけれども、
なぜ、息をしないと、
苦しいのか分からなかったので
鼻にモノを詰めて、空気が入らないように
パチンコ玉がフィットするので、
両方の鼻に入れた。
口を塞ぐと苦しかった。
パチンコ玉が取れなかった。

集中をすると、親や周りが気にならないぐらい
本を読んで、空気や酸素を調べて(聞いて)
すぐに、面白くなって
衝動で行動をする癖を
幼少期には持っていた。

缶詰を開けたあとに
指を入れると、切るというので
どういうことかと思って、
指を入れて
無理に抜こうとしたから、
指が切れて血だらけになった。

小学校低学年になると、
その集中する時間が、1日どころか2、3日となり
延長された。
自動車のプラモデルや鉄道模型を作り始め
電気に興味が合ったのか、
電球(ムギ球)や、モーターを接続をして
電圧をあげるために、増設をしたり、
半田の作業をして、接触が悪かったりして
ご飯も食べずに、
寝ずに、作業することが続いた。

親は、自由に挑戦させていた
(方だと思うけれども)
さすがに、病気になると、
鉄道模型は取り上げられた。
既に病気だったけど。

高学年になると、
アマチュア無線、オーディオ、プログラムなど、
すぐには出来ないこと、
学ばなくてはいけないことが増えて、
継続する期間は1週間ぐらいになった気がする。

そして、中学になると、
神奈川県の共通のテストで好成績だと、
パソコン(X68000)を買ってくれる約束をして、
多分、全教科満点だったと思う。
期間はインターバルもあるけれども3ヶ月
達成すると、気が抜けたw
受験合格のご褒美にしたほうがよかったのかもしれない。

過集中として、
飲み食いせずに、トイレに行くのも面倒で
漏らしそうになるぐらい、時間も分からなくなる。
寝ない。
継続して考える期間は最大3日
ハマって、3日、1日休み(インターバル)の連続でいくと
最大3ヶ月(今は)
長期的なプロジェクトは出来ないと考えている。

ADHDは、落ち着かないと言われるけれども
興味ある情報がたくさん合って、
普通は、フィルターをかけるような、
一見、くだらないことに興味あるから
衝動的で、フラフラしてしまう。

面倒なのは、ASDの要素は
興味の一つに集中するので
合体した両方の要素で
過集中になるのではと予測している。

感覚的に何が起きているのか
というと、
考えることが夢中で楽しいから、
厄介なのだ。苦しいことはなくて
本当に夢中で楽しい。
多分、ドーパミンの過剰と、
それを抑えて制御する機能不全じゃないかと考えている。
確かに、誰にでもあると思うけれども、
止めれないし、今やらないと、先がないと思ってしまう。

障害としては4つある。
忘れる。
まわりの音も聞こえない。相手の都合も考えない。
スケジュールも忘れる。

ことばがでない。
知能的に
相手の1.5倍の速度で先に進んでいて
言葉にするのがおっくうで、言語がついてこない。
この発症中は、確実に吃音が復活する。
思考が先に行きすぎていて
動作が(動作性IQが低い)遅く、ミスマッチが
過集中に極端に発生していて、
話す時には、すでに終わっているのだ。

雑になる。
手作業だったり、字を書いたり、
アウトプットを伴う場合は、
作業は雑になる。頭で出来ているのに、
人に説明したり、手を動かすことがついてこない。
過集中の工作や目に見えるモノの作業は
とても、雑で、手作業や工作は避けるべき。
ひらめいて、PCに書く場合は、誤変換や
全角、半角違いに気がつかなくて、
指も高速で雑に動き、
ミスタイプしていると、腹立って多分、PCを壊す。
(何台か壊した。)
脳を100%にしていることが快楽なので、
低下させることがあると、腹立つ。
別人になっていると思う。
だから、メモやアイデアは絶対紙に書くようにしている。
PCだと、スタンバイ復帰が遅くて、
浮かんだアイデアが消えそうで、キレて(投げる。)もったいない。
SSD時代は、こんな心配も減ったけれども。

コミュニケーション。
ボクの理解は、
多くの人も当然理解していると思い込んでいて、
先述のように、相手を
上とも、下とも思わないけれども、
自分の持っている情報を
相手も持っていことは当然
と考え、詳細を伝えないから、相手は大変。
相手を伴う作業や思考の場合は、
思考の速度に追いついていないと、
「なんで理解出来ないんだよ、
どこまで言語化して教授のように、深堀すれば良いのだ!」
とか、
「脳ミソがすり切れるぐらい、ケースパターンを考えているのに読めていないんだ」
ってキレるぐらい、腹立つ。
まあ、死にそうなぐらい快楽的に考えているので、
勘弁してほしいけど。

ボクのレベルを、相手に求めて、それまで至っていないと、
仕事をしていないかのように、認識してしまう問題。
逆に言えば、他者を下げて見ていないともいえる。
これは本当にいけないことで反省すること。

また、過集中の問題と異なる可能性もあるが、
少々気がつくこともあって、
興味や関心に対して、徹底して自分が納得するために
手段を選ばないこともある。
猟奇的であったり、危ないことも
目的のために
してしまうのも、何か関係あるかもしれないと、
思っている。

この期間を過ぎて、3日ぐらいになると
動けないぐらい
耳鳴りや、食欲不信になり、
偏頭痛が高い確率で発生して
せんき暗点になりやすい。
何も考えず、じっくり休むコトが重要。

それでも、特技に依存するのは
体力の消費が大きく、危険だけれども
止められない集中で生み出す成功が多いのも、
個性の一部であるのも
事実。

最後に対策として、
1.カレンダー
ボクは、過集中になりそうなこと事案が予測出来るので
過集中カレンダーをつけている。
次々とテーマを変えて、
集中と集中の間に1日休暇を設ける。
要するに、今月考える予定をキチンと決めておき、
それを超えたら、
別の魅力的な興味深いことに強制移行するようにするのだ。
予定を過ぎるとパニックになるので、
過集中になりそうな直前に、我慢して
作業や目標設定を細かくしておくと。

また、車を運転することに集中をすると、
過剰な安全運転だけれども、
息抜きになって、景色も変わるから良い。
幸い、スピードなどギリギリを攻める集中ではないようだ。
むしろ、3,500CCなのに、リッター13キロを超えることに拘りだす。
念のために、
安全装備と、自動運転に近い技術がある車に年頭から乗っているし、
そういう、集中しないといけない車にした。
ぶつけてよい車だと、荒くなる。

他に集中しているときは、絶対に車に乗らない方が良いともいえる。
そんなときは、車を忘れて、電車で家に帰ることが多発する。
先日も、擦った。
凹んでいないけれども。

2.今日のことは明日に先延ばし
今起きている二次障害として、
1-3ヶ月で完全に集中が切れる
コトを知っているので、
過集中が以前にも増して、もっと早くやらないと(集中が切れる)
いけない強迫感がある。
だから、自分のできないことは無理にせずに、
研究している分野の専門家に、早く任せる癖を付けること。

ユードーが、コミュニティに移行しているので
利用者の分析が面白くて
社会学、心理学、さらに、
表層的な情報にならないように
東洋思想や、最後に、日本人とは、、、と西田幾太郎まで行き着き
大学院受験のための問題集まで興味がすすみ、とまらない。(今ココ)
(海外もあるので、たぶんそれはないけれども。)

3.知らない人に合わない
先述のように、
ボクはアイデアや、主義や意見が強いので、それに過集中する。
相手から、コイツは、(悪い意味で)普通じゃないな
って言う空気になりがちで、
また幼少期のイジメの経験もあり、
ボクも徹底的に論破しようとか、戦闘モードに入るので、
合わないようにするか、事前調整してもらう。
特に、立場が違う、
組織内の思考の相手が理解出来ないので
集中して、相手の分析をはじめる。

クリエイターで、社長でもあるので、
プロジェクトの成功というのは、最終的には
作品であったり、アプリだったり。
最後は、売上げだとか経営に結びつけるのですね。
「だから、そんな小さな社内調整や、
プロセスじゃなくて、目的は何か?とか」
ブチ切れて、ボクも変貌するので、嫌だなって思います。
でも本音。

まとめると、

過集中というのは、本人は嫌じゃなくて
100%ギリギリに脳を使うような快楽だから
自分を制止できなくて、
一発勝負の、興味のある分野の試験だったり、
思考力の問うIQテストははやい。
でも、とっても無駄な深い研究や研究費にもなるし、
良く向くと、企画アイデア、困難や、問題解決へのアイデア出しに繋がる。
時には、集中して考え抜いた、自分の徹底した理念を通すために
体裁を分からずに、相手を攻撃するし
達成のために手段を選ばないので
自分も脳を全開に使って、疲弊をする。

だから、3日ペースで脳を休ませる。

ちなみに、最近ボクは、程よく集中し、
その集中も客観的になるように、
コンサータを飲んでから、改善しているようです。

まあ、いろいろなことに集中出来れば良いのですが、
テーマは、残念ながら限られていて残念。

幸い、仕事は合っているからこそ、
遊びを真剣に命懸けでやっていることです。

過集中のご利用は計画的にってことですが、
ボクの経験と主観なので、医学的にどうなのかは
わかりませんので、、念のため。

拍手[6回]

サンフランシスコから帰国しました。

ボクの愛用ヘッドフォンは、
Etymotic Reserchというブランドの
マニアックなものでして、音圧が強いのと
音の分離が良くないけれども、
遮音性に優れていて
自分の心臓の音が聞こえるぐらいです。

だから、耳栓としても利用していて、
飛行機でも、隣の部屋のノイズが聞こえるホテルでも
大活躍。

音が良いとか、悪いというよりも、愛着という
いつもの馴れのサウンド。
不思議な縁で、3つ目の購入で、コイツが離せないのですね。

ということで、面倒なのは、
優れたオーディオというのは、
気分やら、それに至る歴史や、経緯も関係したり、
さらに、ボクの場合、面倒にしているのは、
スマホのスピーカーや、ラジカセだったり
一度悪い音を聴くことで、良いリスニング環境に移行するとおいしく感じる。
だから、
分離が悪いヘッドフォンや
本来騒音だらけのカーオーディオだったり、

(Bluetoothの音というのは、最悪で
歯抜けなのですが、これで我慢して
リニアで聴くと、最高に良かったりします。
でも、この歯抜けの音が良いという人もいても良いかもしれない。)

昔、スタジオ仕事で、
YAMAHAのNS-10M STUDIOで
チューニングをして、まあ、スパイスが欲しいというか、
欲のない音なのですが、
帰宅中のカーオーディオで聴くと、
滅茶苦茶、音が良いなって思ったり。
けして、批判ではないのですが、
その後、リファレンスになった、FOSTEXと比べても
消化不良の感じが、10Mの勝ち、、、
いや、価値なのかなと感じました。

と言うわけで、音響の世界というのは難しくて
ハードウェアの技術だけではなくて、
リスナーの感性やら境遇やら、気分で変わるから厄介なのです。

今回、サンフランシスコ到着1日目に、
AppleStore Sanfranciscoで、ヘッドフォン
BeatsのSTUDIO/PROを聴いてみました。
中二病的で、ファッションでミーハーだなって
距離を置いていたのですが、
実際聴くと
コンプで潰し気味のサウンドには最高と思って、驚きました。(多分)

でも、ボクに取って、アメリカ到着の抑揚感だったのか?
というか
マジックだったのは、

高額ヘッドフォンなので、
数日経ち、ちゃんと機器比べようと、
APPLESTOREのB&Wと比べてみたのですが、
おかしいな、、
ボクには、到着日に聴いた感動がない。
なんて思って
さらに、B&WのP7が、非常に音の線が明確で
丁寧で。かつ、下位機種のP5と比べても
音のレンジがすばらしくて、ほぼ即決でした。

気分は恐ろしいなって思いますが、昔と比べたら
ボクみたいな、趣味思考はあるものの、
ある程度のクオリティは担保されているから
いい時代です。

ボクの耳で比べたら、
BEATSとB&Wは雲泥の差でしたけれども
(念のため、BEATSを批判しているのではなくて、
僕にはあわないってことで))

どちらも、昔と比べたら、かなり優れているわけです。
特に、iPhoneの影響で、ヘッドフォンの進化は
ココ数年劇的。
BEATSだって、愛用のMDR-Z900の代替って思ったもの。

20年以上前の、アナログアンプというのは、
ボリュームを上げると、シーっていう
ヒスノイズが酷くて、さらに、ぶーんと言う電源ノイズもあって
そりゃ、大変だったのです。
カセットテープも、メタル、フェリクロームとか
イロイロ合って、音質はかなり変わるし。
だから、ヘッドフォンなんて、それどころじゃなかった。

最近のオーディオは、全て底上げされて
液晶テレビのような、薄いスピーカーでさえも
DSPという、デジタルで加工する技術で、
容積を稼いだ、スピーカーの音。
いい音に聞こえるのですね。

今、
多くの人は、スマホの音で満足してしまっていると思うのですが、
さらに、iPhone標準ヘッドフォンをリファレンスにしているので
そういった、最近のミックスに普通になっていて
そこそこ良い。

けれども、音について、もうちょっと
食べログや、ぐるなびで、おいしいお店を探すように
ヘッドフォンやら、機材を変えて
拘って比べるのはどうかなと思う。

ボクは、ピアニスト、グレングールドが好きで、
淡々としていて、実は淡々としていないサウンドと



彼は、スタジオ録音にこだわり、
けれども、鼻歌やら、歯ぎしりが伝わってきて
まあ、変人なのですが、
オーディオによって、このスタジオの奥行き感や
サウンドの輪郭がかなり変わるのです。

なにせ、ステージじゃなくて、スタジオ録音なので
繊細なのです。
そして、繊細に歯ぎしりや音痴?な歌まで聞こえるから不思議。

自作の真空管アンプやら、新しいヘッドフォンで
楽しみます。
ピアノの音、タッチの音、ペダルの音。
そして、歯ぎしりや鼻歌。
毎回発見があります。
ボクの車も、オーディオがすばらしくて、
グールドの音を聴いて決めたぐらい。

実は最近、
元似非DJとして、興味深かったのは、
すっかり、Vinylも面倒になり、
SL-1200もさらに、CD-1200もホコリをかぶっているのですが、
Technicsが復活
ということで、社長自ら、オーディオへのメッセージを
驚きました。

Panasonicの覚悟は凄いなって思いました。
各社、コンシューマ向けのビジネスは難しい
特に、パイオニアも各社オーディオ撤退のなか、

ピュアオーディオで、すごいチャレンジだなと。

何故テクニクスは復活したのか
の記事を見て、開発者の方の意気込みの強さも伝わってきて
ボクも、大手の開発に携わったことがあるのですが、
開発と同じかそれ以上に、
社内調整に苦労することが見えていて

オーディオのアッパーモデルに対して、
マーケティングや採算性など
説明って大変だったのでは
なんて思いますし、

ミュージシャンで、社員の方がリーダーを努めること。
相当、燻る骨太な会社なんだろうって、
感動しました。
社員の士気もあがると思います。
社長も英断なのでしょう。。
また、そういうのも、サウンドに反映されるのですね。

ボクは40歳過ぎて分かったのですが、
音にしても、車にしても、同じ道楽ものとして

よく、車とかは、
行き先が一緒なのに、とか、近所のスーパーマーケットに行くのに
エンジンが大きくて、燃費が悪くて
なんて言われるけれども。

音も、聴こえればいいじゃんってあるけれども、
マニアにしてみると
違いが明確にわかるのですね。
スピーカーケーブルもある程度までだったら、
素人の方も違いが分かったり。

電源ケーブルだって、フェライトコアを入れたり
コンデンサを変えると、ノイズが下がったり。
小さなことの積み重ねで、凄い変わる。(比べると、、、)


最近、DSPによって、
スタジオの空間も、音圧も、かなりシュミレート出来るのだけれども
ボクもいじるのは大好きだけれども、
やはり、音というのは、忠実でHi-Fiな必要があって
原音志向になっている。

おじさんになって、
ローファイな時代から、CDの時代、そしてipodの悪い影響で
MP3で退化して
再び、ハイレゾになった時代の変化を知っているからこそ、耳で聞き分けられる。

だからこそ、日本の技術で
本当の骨太なサウンドを極めることって

今、ローエンドのiPhone対応の
パワースピーカーがたくさんあるけれども、
音質がよいというのは、海外メーカーだけで、
値引きがない。けれども、聴いていて違いが分かって、いいなって思う。

量販店の安さ勝負ではなくて、
これだったら、ちょっと高くても、値引きはなくても
良いね、数年待ちでも予約しよう
カラヤンやバーンスタイン聴いてみたいなとか、
って、
かつて、オーディオに憧れた世代が、戻ってくるのではと考えています。

大手メーカーのフラッグシップで、オーディオ。
かっこいいなと。

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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